約 1,207,261 件
https://w.atwiki.jp/fleshyuri/pages/807.html
耳に優しい静かな雨音。音楽のように聴きながら机に向かい勉強に励む。 ふと、その曲が途切れた。ベランダに足を運ぶ。 開けた窓から流れ込む夜風。長く降り続いた雨に清められた空気。胸いっぱいに吸い込んだ。 空を見上げる。 漆黒の闇。雨雲に覆われた空は、いかなる光も運ぶことは無い。 前にラブと一緒に見上げた夜空は綺麗だった。無数の星がきらめく光を放つ。無限の空に数多 に描かれる光の芸術。そして、見つけた流れ星。一緒に手を合わせて願い事をした。 コンコン 「せーつなっ、入っていい?」 「どうぞ。ちょうど休憩していたところよ」 開きっぱなしの窓。風に揺れて動くカーテン。ラブも興味を引かれてベランダに出た。 お風呂上りのラブ。もうパジャマに着替えている。 ピンクの可愛らしいパジャマ。部屋の光を反射してキラキラと金色に輝く髪。暗い夜空を映し ても、なお輝きを失わない瞳。まぶしそうにせつなは見つめた。 「外を見てたんだね。それとも夜空? 最近は雲ばっかで真っ暗だよね」 「そうね、――でも、光はあるわ」 せつなは街を指差す。道を照らす街灯。街に灯る生活の光。家庭を照らす幸せの灯火。 それらを反射して光る、雨に濡れた家並み。 この世界はいつだって、どんな時だって美しい。せつなはそう語った。 「せつな。曇りの日でも見られる星空があるって知ってる?」 「ええっ、ありえないわ。雲の上にでも行かない限り無理よ」 悪戯っぽく笑って、その先をラブは教えない。週末おとうさんが連れて行ってくれるって。 楽しみだねって。そう言ったっきり口を閉ざす。 気になってせつなが問いかけても知らない顔。すっかり拗ねてしまったせつな。 その夜のせつなの、ラブの宿題の指導は熾烈を極めた。 約束の日、幸いにも雨は降らなかった。空は厚い雲で覆われている。 久しぶりに圭太郎が車を出す。普段馴染んだ四ツ葉町の河川。その遥か上流を目指すらしい。 上に、上に、高いところに! 川をさかのぼる二百キロの旅。 助手席にはあゆみが座る。せつなとラブは後部座席でくっつくようにしてはしゃいでいた。 結局、せつなは何を見に行くのかを最後まで教えてもらえなかった。 「綺麗な光を見に行くのよ。せっちゃん」 「星空? でも、こんなに曇っていては無理だと思うわ」 「曇っていても平気だよ。雨が降るとあたしたちが辛いけど」 「最後まで私だけ内緒なのね。いいわ、こうして一緒にお出かけできるだけで幸せだもの」 光は好き。それがどんなものであっても。希望を感じさせてくれるから。 次第に暗くなり視界から色彩が失われていく。車の光。街灯の光。街の光。黒と白の二色にな った景色をぼんやり眺めながら期待を膨らませていった。 「さあ、着いたぞ。ラブ、せっちゃん」 「久しぶりね、ラブは二度目かしら」 「初めてだよ。せつなと一緒に見るのはね」 「そろそろ教えてくれてもいいでしょ。一体何なの?」 着いた場所は川辺というより山の中。こんな夜中にこんな場所。それでも沢山の人が集まって きていた。一様に楽しそうに奥に奥にと歩いていく。ラブたちも続いた。 道中にせつながしびれを切らして尋ねた。あゆみが苦笑しながら教えてくれた。 この一帯は源氏蛍がたくさん繁殖していることで有名なんだって。ちょうど梅雨の今頃が一番 綺麗に見られるんだって。 体内に発行器を持ち、群れを成して幻想的な光を放つ。図鑑で読んだことしか無いせつなにと って、それは素晴らしく興味を引かれることだった。 「着いたわ。ここよ」 「わは~。どこかな、どこにいるのかな」 「まだ少し早いぞラブ。もうすぐじゃないかな」 「あの大きな川が、上流だとこんなに細くなるのね」 「もっともっと、最後にはまたげるくらい細くなるんだよ」 暗がりの中、大勢の人が期待を膨らまして時間の訪れを待つ。源氏蛍の発光時間は夕方の八時 半くらいから九時半くらいなのだとか。 遠くに行ってはぐれたら危ないわよ。そんなあゆみの忠告にも我慢できず、ラブとせつなはあ ちこちと探し回った。 「あれ、おかしいな」 「いつもなら、今頃はたくさん光るわよね」 「もう、九時になるよ。どうしたんだろう」 「人がたくさんいて驚いて逃げちゃたのかしら」 待てども待てども蛍は現れない。ざわざわと周囲の人々も戸惑の声を上げはじめた。 「年々、数が減ってきているとは聞いていたが……」 「寂しいわね。もう、見られないのかしら」 「そんな――きっと、どこかにいるはずだよ」 「私、探してみる!」 思いつめた表情でせつなが駆けだした。 蛍を見られないのは残念だ。そして、自分を喜ばせようとしたおとうさんやおかあさんやラブ。 期待を膨らませてここまで見に来た、沢山の人達のがっかりした顔を見るのが何より辛かった。 必ず――見つけてみせる! みんなを――笑顔にするために。 人より優れた五感、視覚を研ぎ澄ませて周囲を探る。 いない――どこにも―― 時間ばかり過ぎる。気持ちが焦る。 川辺を駆け回っても何も見つけられない。一度戻ろうとして振り返る。山の方で何かが動いた。 「あれは……。見つけたっ!」 ほんの一瞬、瞬きするほどの刹那の光を捉える。光の残光から進路を推測して追いかける。 「どこに行くの、せっちゃん。そっちは山の中よ。蛍は川辺、水のある場所にしか居ないわ」 「危ないから戻ってきなさい!」 「せつなっ、何か見つけたの?」 すぐ戻るから! 振り返りもせずに蛍の飛んだ方向を追いかける。見失ったらお終いだ。 蛍はせつなを誘導するかのように、時折光りながら飛び続ける。奥に、奥に、山の中に。 足場の悪い、細い道をくぐり抜けると開けた場所に出た。 まばらに美しい配置で茂る樹木。しっかりした地面に生える柔らかい草。空も広く見渡すこと が出来て。もし、昼間に来たらさそがし美しい場所だろうなと感じた。 目の前に灯る一点の光。さっきの蛍。観念したかのようにじっと動かない。 「ごめんなさい、みんなにあなたを見せてあげたいの。そしたらすぐに放してあげるから」 そっと手を伸ばす。その時――異変が起こった! 光が――増えていく。 ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。いつつ。せつなの手を中心に光が広がっていくように。 やがて光が草むらを覆いつくす。樹木にも光が灯る。それはどんなイルミネーションよりも 美しかった。 幻想的な光景。自然が生み出しているのに、現実感がまるで無い。 せつなは息をするのも忘れて座り込んだ。 「せつなっ!」 「せっちゃん!」 「せっちゃん、大丈夫か!」 心配して追いかけてきたのだろう。ラブとおとうさんとおかあさんが駆け寄る。 そして――同じように光の生み出す奇跡の芸術に目を奪われる。 「綺麗……」 「こんなの、見たことないわ……」 「これは……姫蛍か。聞いたことはあったが」 美しきエメラルドの光。源氏蛍より短い周期で光る希少な蛍。森の中で生息する不思議な習性。 「すご……い。凄いよっ。せつなのおかげだね!」 「これは、忘れられない夜になりそうだね」 「お疲れ様、せっちゃん。でも、あんまり無理しちゃダメよ」 「私――行かなきゃ。みんなのところに。――ここを教えてあげなきゃ!」 すぐ戻るから。さっきと同じことを言って再びせつなが駆ける。その手をラブがつかむ。 「あたしも行くよ、せつな。みんなで見たほうが、きっと、もっと素敵だよね」 「うんっ!」 荒れた道を急いで駆け下りる。滑り降りるようにして川辺に戻ってきた。 ラブが大きな声で帰り支度を始めている人たちを呼び止める。響き渡る高い声は、集まった人 々の興味を引きすみやかに一所に集めた。 せつなが一列に誘導して案内する。 「しばらく足場が悪いので気をつけてください。小さな子は手を引いてあげてください」 「せつな、これで全員だよ」 「ありがとう。ラブは後ろからはぐれる人がいないか見てて」 木々の間をくぐり、蛍の園に戻る。ワイワイ騒いでいた人たちが言葉を失う。 蛍の数はさらに増えていて―― それは、まるで星空が降りてきたかのように見えた。 「おかえりなさい、ラブ、せっちゃん。おつかれさま」 「偉いぞ。ラブ、せっちゃん」 圭太郎とあゆみがそれぞれ二人の娘の頭を撫でる。二人は顔を見合わせて嬉しそうに微笑んだ。 しばらくの間、みんなは茫然と光の演奏に魅了された。一面を覆いつくす淡い無数の光点。 不思議な曲線を描きながらふわふわと動く光の幻想曲。零れる感想はため息のみ。 そして起こる、もう一つの奇跡! 「ラブ……あれ……空が――晴れるわ――」 「星が……星が……降りてくる――――」 『わあぁぁぁ――――――』 上空の風が運んだ贈り物。雲が割れ空が晴れていく。星が顔を覗かせ、徐々に広がっていく。 それは、初めてせつなが蛍を見つけ、その光が広がった様子にも似ていて―― 高原の美しい空から見る星空は、落ちてきそうなくらい近くにはっきりと見えた。家から見る 星空よりも、何倍もたくさんの無限の光が視界を覆う。 そして――繋がる。 天空の星空と地面の蛍の光の絨毯が、空に舞う蛍の光で繋がれていく。視界一面を埋め尽くす 白と緑の光の競演。この世のものとも思えない、それは不思議な光景。 「ラブ――少し怖いくらいよ。星空の中に放り出されたみたいに。でも――綺麗」 「わかるよ、せつな。あまりにも綺麗で、一人じゃ受け止めきれないんだよね」 畏怖すら感じる圧倒的な美しさ。人々は肩を寄せ合い、集まるようにして見つめ続けた。 ラブはせつなの手をしっかりと握った。星空が隠れ、蛍が光を失うまでの間――――ずっと。 半時ほど後、黒いカーテンが降りるかのように再び辺りは暗闇に包まれる。 人々は余韻に引きずられ言葉少なげに、でもしっかりラブとせつなにお礼を言って帰っていっ た。 せつなは感動に目を潤ませて、おとうさんとおかあさんにお礼を言った。 「ありがとう。おとうさん、おかあさん、ラブ。私、今夜のこと一生忘れない」 「あたしもだよ、ありがとう。せつなのおかげで見れたんだもの」 「私も忘れないわ、せっちゃん。でも、忘れられないのは私達だけではないわ」 「素敵な場所を案内してくれた優しい女の子と奇跡の夜。ここに来た人は忘れないだろうね」 せつなは恥ずかしくなって顔を真っ赤にしてうつむく。 「さあ、あたしたちも帰ろっ!」 ラブが嬉しそうに駆け出した。 繋ぎっぱなしのせつなの手を引きながら。 避2-189へ
https://w.atwiki.jp/fleshyuri/pages/263.html
ドーナツも買えたし。また喜ぶ顔が見れる。 玄関の前でちょっと一息。 あなたの前ではいつも冷静な私でいたいから…。 「ただいま。」 「ってラブ!なんで裸なのーーーーーーー!?」 帰宅したせつなは思わず絶叫した。それもそのはず。 恋人である桃園ラブが、産まれたままの姿でリビングで寛いでいたからだ。 「あ、お帰りーせつな」 「お帰りじゃないわよ!家だからって服くらい着なさいよ!」 せつなは普段言い慣れたラブへのお説教をしつつも、彼女の側へと歩み寄る。 同居を始めてから数ヶ月。すっかり恋人同士になった二人。 お風呂も一緒。 夜も…。 何回も直視した愛しき人の〝カラダ〟 ラブの裸体は、叱ろうとするせつなの気持ちを大きく揺さぶる。 (もぅ……。相変わらずラブの裸綺麗なんだから…。今日は太腿が食べ頃みたいね) 「せつなー、顔真っ赤だよ。鼻血出ちゃうんじゃない?」 「はっ!?」 ラブの一言で我に返ったせつな。出てもいない鼻血を気にする。 「コホン!」 気を取り直すと、先程とは違う落ち着いた口調でラブに問い掛ける。 「なんで裸でいたの?どして?」 その問い掛けにラブは恥ずかしそうに答える。 「だってぇ…せつなが帰るの待ち遠しくてつい…」 (なんて可愛いのラブ!その表情…。大好き…。 いいわ!今日も精一杯愛し合いましょう!) 「ま、まぁ、今日は多目に見てあげるわ。と、とりあえず、シャワー浴びてくる…から。」 「えへへ…今日も二人で幸せゲットだよ!」
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/491.html
【小さなお願い】/恵千果◆EeRc0idolE 「ブッキー?偶然ね」 自分を呼ぶ聞き慣れた声に、驚きながら振り返ると、そこにはやはり彼女がいた。 「ほんとね、すっごい偶然。せつなちゃん、今帰り?」 ドキドキしながら彼女の顔を見る。神様、ありがとう!わたし信じてた。この偶然に感謝します。 「うん、ラブは委員の仕事で居残りなの」 彼女の口から幼なじみ兼恋仇の名前が出るだけで、いつもながら胸がチクチク痛む。 「ブッキーは何してたの?」 小首を少しだけ傾げて、微笑むせつな。んもう、可愛すぎるなぁ。くらくらしそうだよ。 そうだ!あの事、今なら言えるかも。言うなら今しかないよね。 「あ、あの、あのね、せつなちゃん、わたしお願いがあるの」 「お願い?いったいなぁに?私に出来ることなら精一杯がんばるわ」 「あのね、こんなこと言うの恥ずかしいんだけど…」 やだ、なんだか顔が熱い…。 「わたしのこと、下の名前で呼んでほしいの。いのりって、呼び捨てで。ダメかなぁ?」 とうとう言ってしまった。 彼女は少し驚いているみたい。 「え…構わないけど、どうして?なぜ今までラブや美希には言わなかったの?」 そう聞かれると思ってた。でもその答えはもう決めてある。 「ラブちゃんや美希たんにはどう呼ばれててもいいの。でも…せつなちゃんには、 せつなちゃんだけにはいのりって呼んでほしいから」 言えた。ブッキーじゃない、いのりの本当の気持ち。 クスッ。彼女が少し笑った。やっぱり子供じみた理由で可笑しいのかな。言わなければよかった…。 「わかったわ。でも、ひとつだけ条件がある」 「条件?それって、なに?呼んでもらえるなら何でもする!」 「私のことも呼び捨てにすること。せつなって」 「え!?ハ、ハイ!」 嬉しい。今わたしすっごく幸せだよ。 「よろしく、いのり」 「よろしく、せつな」 夕闇に彼女の笑顔があふれて、涙で見えなくなった。
https://w.atwiki.jp/fleshyuri/pages/493.html
一人。 ラブは、街の中を歩く。 公園を過ぎ去り、商店街を抜け、自分の家へと。 だが、彼女の姿は誰の目にも止まらない。 彼女の声は、誰の耳にも届かない。 自分がここにいるということを、誰にも気付いてもらえない。 それが、こんなに辛いことなのかと、ラブは初めて知った。 公園には、カオルとミユキがいた。いつものようにドーナツカフェを開く彼は、しかし、どこかに明るさを置き忘れたか のように無口で、険しい顔をしている。カフェの席の一つに座るミユキもまた、物憂げな顔をしたまま、何も言わない。 「カオルちゃん。ミユキさん」 一縷の望みを賭けて、ラブは呼び掛ける。だが、彼女の声は、そよ風程も空気を震わすことは無く、二人は気付か ない。 やっぱり、か。思いながら、目を伏せてラブは歩きだした。ずっと無言のままの、彼らに背を向けて。 商店街は、いつもの通りだった。 活気に、溢れていた。 けれど。 「ばあさん。なんだい、今日はもう店じまいかい」 「ああ。ちょいと疲れちまったからね」 「なんだい、そろそろ年を考えるようになったってかい?」 「バカお言いでないよ――――なんだかね、空しくなっちまったのさ。私みたいなおいぼれより先に、若い子に逝かれ ちまうとね――――あんなに元気だったのに」 「――――ラブちゃんのことかい?」 無言で頷いて、駄菓子屋の老婆は店のシャッターを閉めてしまう。それを見て、向かいの店の男も、頭をかいて仕事 に戻る。その顔に、深いやるせなさを見せながら。 「おじさん。おばあちゃん」 ラブは、胸に痛みを感じて、そっと自分の手を当てた。 皆が、悲しんでいる。皆が、偲んでくれている。 それを知れたことは、幸せなことかもしれないけれど。 こんな幸せは、ゲットしなくても良かったよ。 思いながらラブは、目をうるませる。 だがすぐに、一つ息を吐いて、顔を上げる。 これは、夢だ。 せつなが見ている、悪夢なんだ。 早く、助けてあげないと――――目を覚まさせてあげないと。 アタシは、ちゃんと生きてるんだって。そう伝えてあげるんだ。 思った瞬間。 「あ…………」 ラブは、愕然とする。 せつなに会えば、それで解決すると思っていた。顔を合わせて、しっかりと話し合えれば、それで彼女を助けられると思っていた。 けれど―――― 「どうやって、せつなに――――」 伝えればいいのだろう。 声を届けることも。触れ合うことも出来ないというのに。 どうやって。 ひとりに なりたくて ――――Leave me alone―――― まんじりともせぬまま、夜を明かして。 美希は、少し隈の出来た目で、ベッドの上の二人を見つめる。 せつなと、ラブ。結局、二人は目を覚まさなかった。夢の中では、時の流れが通常と違うと長老は言っていたが―― ――今、どうしているのだろうか。 その長老もまた、二人の枕元、クローバーボックスの横で眠っている。といっても、ただ眠っているわけではなく、 ラブの存在をせつなの夢の中に留め置く為に、力をふるっているのだという。なんでも、クローバーボックスの力で 二人の夢を橋渡ししているのだが、そのままではラブの存在が不安定なので、彼の魔法でそれを安定させている らしい。 ともあれ、杖をかざし、二人に向けながら目を閉じて、微かにも動かないその姿は、本物のぬいぐるみのようだ。 「美希ちゃん。おはよう」 「おはよう、ブッキー」 扉を開けて入ってきたのは、パジャマから私服に着替えた祈里だった。真っ赤に充血した目を見て、美希は憂い 顔になる。 「あんまり、寝れなかった?」 「…………」 コックリ、と頷く祈里に、無理もないか、と美希は思う。 彼女を寝かせたのは、美希だった。自分も起きていると言った祈里を、 「ブッキー。あたし達は、明日、せつなやシフォンを守る為に、戦わなきゃいけないかもしれないわ。絶対に負けら れない。だから、しっかり休んで、体調を整えておかないと」 そう説き伏せて、無理矢理にベッドに入らせたのだ。彼女本人はと言えば、二人がいつ帰ってきてもいいようにと、 一睡もせずに見守っていた。もっとも、彼女達が目覚めることは無かったのだけれど。 「交代するよ、美希ちゃん」 「ん、そうね、お願い――――おばさま、うまく誤魔化しておいてね」 「大丈夫。おじさんもおばさんも、休日出勤だって言ってたから」 祈里の言葉に、美希は軽く頷く。そういうことなら、少しは時間が稼げるかもしれない。もっとも、二人とも、すごく 二人のことを心配していたから、急いで帰ってくるつもりだろうが。 「それじゃ、後はお願いするわね、ブッキー」 「うん。おやすみ、美希ちゃん」 祈里に後を託し、美希は、ラブの部屋に敷かれた布団に潜り込み、目を閉じた。 だが、当然のことながら、眠りは彼女の瞳に訪れない。 心の中にあるのは、隣の部屋に眠る、ラブとせつなのことばかり。 二人は、大丈夫だろうか。戻ってこれるのだろうか。 きっと大丈夫。そう信じていても、心のざわつきはとまらない。 何度も寝返りを打ち、枕を抱きしめてみても、やはり胸が想いでいっぱいになって、溢れてきて。 祈里と同じで、すぐ寝つける筈も無く、ただ布団の中で焦燥に駆られることしか出来ないのだった。 『ピーチはん。どないでっか?』 その声が聞こえてきた時、ラブはちょうど途方に暮れていた。 もう、せつなの待つ家の近くまでは来ている。だが、どうすれば彼女に自分の気持ちを伝えられるかがわからなくて、 まだ入れずにいた。そこに聞こえてきたのが、長老の声だったのだ。 「長老? どうして、声が……」 『まぁ、これぐらいはな。もっとも、力のほとんどはあんさんがそっちの世界にいられることに向けとるさかい、あんまり お手伝いは出来ひんけど――――それより、どんな夢やったんや? パッションさんの見とる夢いうんは』 ラブは、思わず俯く。そして、近くのベンチに腰をおろし、 「実はね――――」 と話し出す。 この世界、せつなの夢の中では、自分は死んだことになっているらしいこと。だからなのか、自分の存在は誰にも気 付かれていないこと。触れることも話しかけることも出来ず、どうすればせつなを助ければいいか、まったくわからなく なってしまったこと―――― 『なるほど――――そら、えらいこっちゃな』 長老の声に、緊迫の色が混じる。うなだれていたラブは、そのままの姿勢で長老に問い返す。 「ねぇ、長老。アタシじゃなくて、美希タンかブッキーに、この世界に来てもらうこと、出来るかな」 あの二人が死んだという話は聞いていない。自分が死んでおり、まるで幽霊のような存在になっているというのなら、 彼女達が来れば、ちゃんとせつなと話をすることが出来るのではないか。そうラブは思ったのだ。 『それは――――難しいな』 だが、長老はラブの考えに難色を示す。 「どうして?」 『この世界が、ソレワターセが作った世界やって言うたやろ? その中で、ピーチはんは異物や。今回は、クローバー ボックスとわしの魔法の力でコッソリ送り込んだけれど、何度も行き来させれば、ソレワターセに気付かれてまう。そう なったら、パッションはんは……』 言葉を濁すのは、その先にあるのが悲嘆しかないから。それがわかって、ラブは眉間に皺を寄せる。 じゃあ、どうすれば…… どうすれば、せつなを助けられる? 『――――わしの力、使いや』 そんな彼女の苦悩に気付いたからか。優しい声で、長老が話しかけてくる。 「――――え?」 『わしの力を、あんさんに預ける。ほんまちっちゃい力やさかい、たいしたことは出来ひんけどな』 言葉と共に、ラブは右手が一瞬、熱を持つのを覚える。それはほんの一瞬のことだったが、それでも、何か不思議 な力が宿ったことがわかった。 『これで、あんさんが望む時に、この世界の人や物に触れることが出来る』 「長老――――」 『せやけど、さっきも言うた通り、わしはあんさんの存在を固定させることで精一杯や。触れられるんは、多くても二回、 そう思うといてな』 二回。 ラブは、グッ、と右の拳を握りしめる。 「ありがとう、長老。アタシ、やってみるよ」 答えは、無かった。おそらく、再びラブの為に力を操ることに専念し始めたのだろう。 二回。 たったの二回、とも言える。 だけど、零よりは多い。 何が出来るかはわからないけれど、この二回で。 せつなを目覚めさせるんだ。 不退転の決意を固めながら、ラブは。 ゆっくりと、自分の家へと向けて歩き出したのだった。 せつなは、ベッドからゆっくりと起き上がった。 締め切ったカーテンの向こうの空が、赤い。紅い。 いつの間にか、今日という日が終わった。明日もきっと、同じだろう。 何も起きない。何も起こらない。 ただ、漫然と過ごし。 心に何も残さないまあ、終わっていく。 それが毎日。せつなの、日常。 机の上のリンクルンを見る。着信音は、消していた。バイブさえ、止めてしまった。 カチカチと操作して、着信とメールを確かめる。この頃は、届いたメールに返信すら出さなくなってしまった。段々と、 来るメールの数も減ってきた。毎日のように届けてくれるのは、美希と祈里の二人ぐらいだろうか。 その彼女達から、たくさんの着信があった。二人合わせて、優に十件を越えている。しびれを切らしたのか、最後に はメールに切り替えたようだ。ボタンを操作し、確認したせつなは、微かに息を飲む。そこに書かれた文面は、 『せつな!! ラビリンスがまた現れたわ!!』 『せつなちゃん!! お願い、電話に出て!!』 だがそのメールが届いたのは、時間にして、もう数時間も前のこと。 戦いはもう、終わっていることだろう。呆然と立ち尽くす彼女の耳に、階段を荒々しく上がってくる足音が届いた。そし て、彼女の部屋の前で立ち止り、扉を勢い良く開けて飛び込んできたのは、 「せつなっ!!」 蒼乃美希、だった。 「美希……」 小さく呟くせつなの前にズカズカと近付いてきた美希は、身を凍らせる彼女の腕を掴む。 「なんで、連絡しないのよっ!!」 大きく、鋭い声が、せつなの耳朶を叩く。ビクッ、と体を震わせた彼女は、烈火の如き怒りの炎を宿らせた美希の瞳 から、目をそらす。 「……ごめんなさい……気付かなくて……」 「気付かなかった、ですって!!」 「美希ちゃん!!」 激昂し、手を振り上げた美希を押しとどめたのは、ぶつかるように彼女に抱きつきながら叫んだ祈里だった。 「お願い、美希ちゃん、落ち着いて!!」 「ブッキー……」 必死にしがみついてくる彼女に、美希は振りかざしていた手を下す。 「わかったわ。ごめんなさい、ブッキー。もう、落ち着いたから」 言いながら彼女は、ポンポンと祈里の頭を撫でた。それでようやく、落ち着いたことがわかったのか、彼女は美希か ら離れて笑顔を見せた。 その姿を見て、せつなは目を見開く。 「ブッキー、その怪我……!!」 「え? ああ、これ。ちょっと、ドジっちゃった」 可愛らしく舌を出して見せる彼女だったが、それが見せかけだと、せつなにはすぐにわかった。 首筋や両の手に包帯を巻き、肘には湿布を貼っている。ズボンを穿いているから見えないが、足も同様なのでは ないだろうか。 「ソレワターセよ」 愕然とするせつなに追い打ちをかけるように、美希の言葉が響く。 「さっき、貴方に連絡した通り、ラビリンスが現れて――――あたしとブッキーの二人で戦ったの。その結果が、これよ」 「美希ちゃん」 再び、止めようとする祈里だったが、今度はそれに構わず、美希は話し続ける。 「強かった――――ソレワターセは強かったわ。二人で頑張って、なんとか倒すことが出来たけれど――――ブッ キーは、こんなに怪我をした!!」 言いながら、彼女はせつなに詰め寄って。後ずさるせつなだったが、すぐに机にお尻がぶつかり、逃げられなくなる。 「三人いたら!! 三人だったら、もっと速く、もっと簡単に倒せたかもしれないのに!! ブッキーだって、怪我をせずに すんだかもしれないのに!!」 「美希ちゃん!!」 迫る、美希の顔。激怒の表情。 その肩に、彼女を止めようと乗せられた祈里の手。その指は、全て、白い包帯に包まれていて。 「ごめん……なさい……」 「謝って欲しいわけじゃない!!」 いつもの冷静さを、すっかりと失って。まるでヒステリックと言える程に、高い声で美希は叫ぶ。思わず、目をつぶる せつな。祈里もまた、彼女から手を離して。 肩で息をつきながら、叫んで少し、落ち着いたのか。美希は足もとに目を向けながら、囁くように言う。 「謝って欲しいんじゃないのよ――――せつなに謝られたって、ブッキーの怪我は消えないもの」 「……ごめん……」 それでも、せつなにはそうとしか言うことが出来ず、目を伏せる。 美希は、そんな彼女の想いに気付かぬまま、せつなの両肩に自分の手を置いて、言った。 「せつな――――貴方の辛い気持、わかるわ。あたし達も、そうだもの。ずっと一緒だった幼馴染が、急にいなくなっ ちゃったんですもの」 でもね、と美希は続ける。 「あたし達は、プリキュアなの。あたし達が戦わなきゃ、皆が不幸になる。だから、どんなに辛くたって、苦しくたって、 立ち上がらなきゃいけないのよ」 その言葉に、彼女は目を伏せた。 戦わなきゃいけない。そう。私はプリキュアだから。 「だから、せつな!! 本当にラブのことを大事に思ってるなら――――」 「わかってるわよ、そんなの!!」 今度は、せつなが。 大声で、叫んだ。 美希が、祈里が、息をのむ。 「わかってる!! 私達が戦わないといけないんだって……いつまでも悲しんでたってダメなんだって……こんんなの、 ラブが望んでるわけないって……私にだってわかてるわよ!!」 「せつな……」 「せつなちゃん……」 二人の呼び掛けにこたえず、せつなは肩を震わせる。ボロボロと涙がこぼれて、止まらない。 「でもね、でも――――頭でわかってても――――心も、体も……動いてくれないの……動いてくれないのよ……」 ずるずると。 糸が切れた操り人形のように、せつなはその場に崩れ落ちる。 「嫌よ……嫌なの……」 子供のように、首を横に振りながら、彼女は泣き続ける。 「ずっと考えてた。どうして、ラブが死ななきゃいけなかったのって。どうして、私じゃなかったのって――――ラブなら、 そんなこと考えなくていいよって……ううん、考えちゃダメって、きっと言うわ。でもね……でも、考えちゃうの。嫌なこと ばかり、考えちゃう。こんなのじゃ、ラブに叱られるってわかってるのに、止められないの!!」 悲痛な告白に、二人の少女は言葉を失い、立ち尽くしている。せつなは、涙をこぼれさせるのに任せながら、 「立ち上がろうとしたわ。悲しみに、負けてる場合じゃないって――――けどそのたびに、ラブの顔を思い出すの。ラブ との思い出が、自然とわきあがってくるの。それが胸を苦しめて、辛くて――――動けなくなる!! 私が生きてることが、 許せなくなる!!」 振り絞るように、彼女は心の奥底を曝け出す。それは、あまりに深く、苦しみに満ちた悲哀。 自らを傷付ける少女の一言、一言に、二人の仲間は、かける言葉を見つけられずに。呆然と、立ち尽くす。 「こんなことなら――――プリキュアになんて、ならなきゃ良かった――――生き返りなんて、しなければ良かった― ―――」 呻くようにそう言って、せつなは笑う。泣きながら、自らを嘲るように、笑う。 「なんて考えてるなんて、ラブが知ったら――――すごく、怒るでしょうね……」 それが、わかっていて。 止めることが出来ない。 言葉を失う美希と祈里を見上げる、せつなの瞳には。 ただ、絶望の深い闇だけが広がっていた。 「せつな……」 その全てを、ラブは、見ていた。聞いていた。 家に入ろうとした時に、驚く程の勢いで美希が駆けてきて、そして、彼女と一緒にせつなの部屋に入りこんだのだけ れど。 「美希タン、ブッキー、せつな……」 呼び掛けてみる。長老からの力は、使わずに。 だが、やはり彼女達にも、自分の声は届かない。 唇を噛みながら、泣き続けるせつなの姿を見る。 今すぐ、抱きしめたい。ラブは、そう思った。 ギュッと抱きしめて、大丈夫、怒ってないよ、そう囁いてあげたかった。 怒ってないよ。けど、悲しいんだ。せつなが、そんな風に泣いてるのが。 けれど。 ラブは、右の手を握りしめて、その衝動に耐えた。 今じゃない。今のせつなに触れても、彼女を助けることにはならない。 そう思ったから。 せつな。どうすればいいんだろう? せつなを助けてあげたいよ。そんな風に落ち込ませてないで、笑っていて欲し いんだよ。 アタシがいない世界を、一番、怖がってくれてありがとう。 けれどね、せつな。 もう、せつなは一人でも歩けるんだよ。 アタシがいなくたって、幸せになっていいんだよ。 思いながら、ラブはそっとせつなの体を抱きしめる。 力を使わないから、触れられず、すり抜けるけれど。 万感の想いをこめて、彼女はずっと、抱きしめ続けたのだった。 そのぬくもりは、しかし、せつなには伝わらなくて。 彼女は、大切な人の想いが側に寄り添うことに気付かず、ただ、嘆き続ける。 「……遅いわね」 美希が、呟く。 時間が経つのが、こんなにも早いと思ったことは無かった。 せつなの部屋の時計がおかしいんじゃないか。そんなことさえ思った。けれど―――― 「約束の時間まで、あと少し……」 同じく気付いているのだろう。時計を見て、祈里が小さく呟いた。 ラブとせつなは、しかし、まだ眠り続けている。一体どうなっているのか聞こうにも、長老すら目覚める気配が無いか ら、何もわからない。 このまま、二人が起きなかったら―――― そっと、美希は盗み見るように、シフォンを眺めた。 彼女は、やはり二人を心配しているのだろう。覗き込んで、悲しげにプリプーと呟いている。 「シフォン――――」 ギュッ、と美希は拳を握りしめる。 シフォンを見つめる彼女の瞳が、スッと細まる。 もしも。 このまま、二人が起きなかったら―――― 起きなかったら。 7-806へ
https://w.atwiki.jp/apgirlsss/pages/1305.html
幸せは、赤き瞳の中に ( 第9話:起動! ) 灰色の硬い床の上に、どさりと投げ出される。身体を拘束していた蔦がほどけると同時に、頭の上から、冷たい床の感触よりさらに冷ややかな声が降って来た。 「全く情けない。あなたには失望したわ」 「申し訳……ありません」 まだ痛みの残る腹部を庇いながら、少女がのろのろと立ち上がる。そして彼女を見下ろすノーザの映像を、すがるような目で見つめた。 「ですが、メビウス様復活の通告は、思った通り連中に大きなダメージを与えています。今なら簡単にゲージを満タンに出来る。お願いです! もう一度だけ、ダイヤを……」 「だからあなたには失望したと言っているのよ」 ノーザはぴしゃりと少女の言葉を遮ると、まだ七分程度しか溜まっていないゲージの方に目をやった。 少女の方を見ないまま、ノーザは淡々と語る。 他の三人の幹部と違って、自分はダイヤを支給されてはいなかった。あのダイヤは、かつての試作品に自分で手を加えて作ったただひとつのもの。万が一、メビウス様の野望を阻むさらに強大な敵が現れたときのため、この予備のゲージと一緒に自分の部屋に隠し持っていたのだと――。 「あのダイヤを失った今、どんなに人間たちが不幸になろうが、その不幸をゲージに集めることはもう出来ない」 「そんな。じゃあ、メビウス様は……」 少女が絶望したように呟く。が、ノーザの言葉を聞いて、その顔に僅かながら明るさが戻った。 「安心なさい。今溜まっている不幸を使って私の身体を取り戻せば、まだメビウス様復活の手立てはあるわ」 ノーザの言葉が終わると同時に、鉢植えから蔦がするすると伸びた。ゲージの下方にあるコックを器用にひねって、不幸のエネルギーを水差しに入れる。そして自らの根元に、その中身を溢れんばかりに注いだ。 注がれた不幸のエネルギーを、小さな木がゴクゴクと音を立てて吸収する。そして時を移さず、その枝先に人型のようなものが出現し、それが丸まって実のような形になった。 「これは“ソレワターセの実”。この実から生み出されるモンスターは、私が欲しいものを確実に奪う、強力で忠実なしもべよ。今度はこの子に働いてもらうわ」 「ソレワターセの実……」 灰緑色の実を呆然と見つめていた少女が、ハッとしたようにノーザに目を移す。 「では、私は……」 「あら、挽回の機会が欲しいのね? ならば、ソレワターセの邪魔をする者を足止めしなさい。そのために、あなたにも素敵な贈り物をあげましょう」 さっきまでとは打って変わって楽しそうに少女を見下ろしてから、ノーザはパチリと指を鳴らした。 蔦が再び鉢植えの根元に不幸のエネルギーを注ぐ。小さな木はまたも勢いよくその液体を吸収したが、今度は枝先に実は現れなかった。代わりに一本の枝の先が、球状に膨れ上がる。そして別の枝から、空中にらせんを描くように新たな蔦が放たれ、膨れた枝の先からそれを目がけて、真っ黒な霧が吹きかけられた。 固唾を飲んで見守る少女の目の前で、小さな霧が晴れる。すると、らせん状の蔦は黒々とした、薄っぺらい三角形に変化していた。 霧を吹き出し終えて元の形に戻った枝が、その三角形の部分を切り離し、ゆっくりと少女に差し出す。 「メビウス様は、それを“カード”と呼んでおられた。ナケワメーケより強大なパワーを持ったモンスターを生み出せる、特別なアイテム。私が持っていたデータを使って、復元してあげたわ」 ノーザの言葉を聞いて、少女が枝先にあるものに恐る恐る手を伸ばす。 「ただし」 そこで再び、ノーザの声が飛んだ。 「その強大なパワーには代償が必要なの。当然でしょ?」 少女が伸ばしかけた手を止める。 「どんな代償ですか?」 「それを使うと、激痛を受けるのよ。モンスターを使役している間、ずーっとね。耐えられなくて、命を縮めることもあるらしいわ」 「……」 少女の手が、ゆっくりとカードから離れる。それを見て、ノーザは大きなため息をつくと、さも残念そうな口調で言った。 「そうねぇ。あのイースですら、それを四枚も与えられたというのに、結局使いこなせなくてボロボロになったんですもの。あなたには無理な話かもしれないわね」 「あの人が!?」 「ええ、そうよ。それは元々、プリキュアを倒すためにイースに与えられたものなの。失敗して寿命を止められたけど、そうでなくても、もう使い物にはならなくなっていたみたいね」 少女の手が今度はギュッと握られ、ブルブルと震え出した。 「出来ないのなら、もう手を引きなさい。後は私一人で何とかするわ」 「誰が……やらないなどと?」 少女が左手で右手を掴んで、無理矢理手の震えを止める。そして今度は勢いよく、その手をカードに向けた。 「私は、メビウス様のためなら何だって耐えられる。あの人が……先代のイースが出来なかったことだって、やり遂げてみせます!」 ノーザの口の端が、わずかに上がる。まるで少女の意志に反応したように、三角形のカードは枝先を離れ、はらりと彼女の手の中に納まった。 幸せは、赤き瞳の中に ( 第9話:起動! ) おびただしい瓦礫の山。人っ子一人いない、廃墟と化した街。 足場の悪さなど物ともしないスピードで、サウラーは道なき道をひた走っていた。厳重にくるんで胸元に抱えたモノを、少しでも早く、少しでも安全な場所に運ばなければ――使命ではない自らの想いが、彼を突き動かす。 この三日間、サウラーは執務室に籠り、ずっとラブの手がかりを探し続けていた。だからラブが無事に戻ってきたと連絡があった時には心底ホッとしたのだが、それに続く報告を聞いて、自分の顔から一切の表情が消えたのが分かった。 ウエスターが捕えた少女が奪い去られたこと。 E棟の地下にある“不幸のゲージ”。 そして何より、少女の後ろにいるノーザの存在。 少女がラビリンスの国民にとんでもない通告を行ったと聞いた時から――いや、彼女があんなにも鮮やかにラブを連れ去った時から、何か強大な者の力が働いているのではないかと疑ってはいた。 まさかそれが、あの計り知れない力を持った、かつての最高幹部だったとは。だが、ノーザはプリキュアの技を受けて、球根の姿に戻ったはず……。 ――彼女は何故、今再び現れたのか。 ――彼女は少女を使って、何をしようとしているのか。 心はまだ呆然としているのに、頭の中に幾つもの仮説が浮かび、その検証が進んでいく。 記憶しているノーザに関するデータとの照合。選択肢の抽出。可能性の算出。やがて相手の次の一手と、自分が取るべき次の行動が、次第に明確な形を取って浮かび上がってくる。 (おそらくノーザは、最終決戦の前に自らのデータのバックアップを残したのだろう。E棟の地下にあったという植木がその媒体か……。不幸のゲージの使い道はまだ分からないが、ヤツは十中八九、自分の実体を狙ってくる!) ものの数秒でそう思い至るが早いか、サウラーは執務室を飛び出し、ノーザの本体である球根が保護されている施設に向かった。 中心地から少々離れているその施設まで、夜の闇の中を駆け抜け、無事を確認したその球根を持って、元来た道を再び走る。 ノーザ本人のバックアップだ、自分の身体の在り処は、こちらが隠してもすぐに分かってしまうだろう。それならば、標的は手元に置いて、守りを固めた方がいい。 執務室のある新政府庁舎が見えてきた時には、もうすっかり夜が明けていた。今にもノーザが襲ってくるかもしれないという焦燥感から飛ぶように駆け戻って来たものの、まだ辺りはしんと静まり返り、不穏な気配は何も感じない。 (どうやら少し慌て過ぎたか。やはりこんな即断即決は、ウエスターならともかく僕には似合わないね) フン、と自嘲気味に微笑んで、庁舎の中に入る。そして執務室までの道すがら、開け放たれた会議室の中をちらりと覗いた。 この庁舎もまた、襲撃を受けた人々のために開放されている。大会議室には多くの人が避難していたが、薄暗いその部屋はしんと静まり返って、生気というものがまるでなかった。 声もしない。動く者もいない。 そう早い時間でもないというのに、人々は寝具にくるまったりうずくまったりした姿勢のまま、ただ時が過ぎるのを待っている。 (これが、あの通告がもたらした結果というわけか。やはりあの世界の連中と比べると、僕らはこんなにも弱く、脆いのだな) 無表情の下で、苦々しい思いをかみ殺す。その時、何かが動く気配を感じて、サウラーは部屋の中に目を凝らした。 薄闇の中、ゆっくりと起き上がる人の姿が見える。自分が使った寝具をきちんと畳み、サウラーのいる入り口に向かって歩いて来る人物。その顔を見て、サウラーの頬がわずかにほころんだ。 「あなたは、あの畑の……。ここに避難していたんですか」 彼は、サウラーたちが試験的に作った野菜畑の管理人。時々、野菜作りのための情報を得るために、ここへやって来る老人だった。 老人がサウラーに会釈を返し、そのまま廊下に出て行こうとする。 「どこへ行くんです?」 「朝だから、顔を洗うだけです」 当たり前のようにそう答えながら、老人は洗面所の方へ歩き出す。 しわがれてはいるが、落ち着き払った声。動きは遅いが、しっかりとした足取り。その姿は、何をするでもなくただ死んだような目をしている人々と比べて、とても力強くサウラーの目に映り――気が付くと、その後ろ姿に向かってもう一度呼びかけていた。 「あなたも、あの通達を聞いたんですよね?」 「通達……ああ、メビウス様が復活するという、あれですか」 老人はサウラーを振り返って、思いのほかあっさりとした調子で答えた。 「でも、あなたは普段と同じように生活できているんですね」 老人がいぶかし気な視線をサウラーに向ける。それを見て、サウラーは薄暗い部屋の中を指し示した。 「ほら、他のみんなはあの有り様だ。それなのに、何故あなただけが?」 今度は老人の答えが返ってくるまでに、少しばかり時間がかかった。 「私はもう長く生きてきた。だからそう思うだけかもしれんが……」 ようやく口を開いた老人が、目をしょぼつかせながら言葉を続ける。 「もう一度管理されようが、制裁を受けようが、ほんの少し前に戻るだけでしょう。むしろ……」 「むしろ?」 真剣な表情で聞いていたサウラーが、老人の言葉が途切れたのに気付いて、怪訝そうに先を促す。そこで初めて老人の顔に、しまった、というような戸惑いの表情が浮かんだが、彼は促されるままに、絞り出すような声で言った。 「むしろ……制裁してくれた方が、楽なくらいで」 「それは一体、どういう……」 そう言いかけた時、サウラーは通信機の着信に気付いて、失礼、と言いながらそれを耳に当てた。 途端にウエスターの怒鳴り声が飛び込んで来て、思わず顔をしかめる。しかし、すぐにサウラーの表情が引き締まった。 あの少女が再び現れた。それもナキサケーベを引き連れて――ウエスターはそう告げたのだ。 「わかった。僕もすぐに現場に向かう」 早口でそう答えて着信を切り、何か思考を巡らせながら歩き出すサウラー。が、そこでふと何か思い付いた様子で、老人の方を振り返った。 「そうか、あなたなら……。申し訳ないが、僕と一緒に来て手伝ってくれませんか。お願いします」 その真剣な表情に押されたように、老人がためらいながらも小さく頷く。 「ありがとう。早速相談があります。こちらへ」 しんと静まり返った庁舎の廊下に、二人の足音だけが響いた。 ☆ 顔の中央に貼り付いている、涙を流す一つ目のマーク。言葉を発せず、ただ苦し気な呻き声を上げるだけの哀しきモンスター。 巨大なタイヤで出来た両手両足と、四角いメタリックな身体を持つそれは、どうやら乗り捨てられた車が素体のようだった。 怪物の後ろに見えるビルの上に、あの時の自分と同じ、腕に暗紫色の茨を巻き付けた少女が立っている。その姿を苦し気な表情で見つめるせつなの肩を、ポン、と叩く者がいた。 「……ウエスター」 「危ないから下がっていろ。こいつを倒して、ヤツの目を覚まさせてやる!」 せつなとラブの前に進み出たウエスターが、薄水色のダイヤを構える。 「ホホエミーナ! 我に力を!」 叫びと共に、昨日少女にナケワメーケにされた街頭スピーカーが、今度はホホエミーナになって立ち上がる。 「ウオォォォ~!」 新たな呻き声を上げて襲い掛かる怪物――ナキサケーベを、ホホエミーナはその太くて長い腕でしっかりと受け止めた。だが。 「ソ~レワタ~セ~!」 今度は呻き声ではないはっきりとした雄叫びが、まるでウエスターを嘲るように別の方角から響く。 暗緑色の蔦が人型になったような、ナキサケーベより遥かに大きな身体。そして蔦の裂け目から覗く、邪悪に光る赤いひとつ目。 「え……まさかあの子、ソレワターセも一緒に呼び出しちゃったの!?」 「違う。きっとノーザの仕業だわ」 驚くラブにかぶりを振って、せつなが低い声で呟いた、その時。 「さすが、お見通しねぇ」 不意に聞き慣れた声がしたかと思うと、ソレワターセの後ろの空間が、一瞬だけぐにゃりと歪んだ。 「久しぶりね、イース。それにウエスター君」 巨大なソレワターセの後ろに、さらに大きなノーザのホログラムが出現する。 その声は、まるで天から降って来るよう。視界一杯に広がる半透明な姿は、かつての主の姿すら思い起こさせる。 ウエスターはグッと奥歯を噛みしめてから、自分を励ますように、巨大な映像に向かって声を張り上げた。 「出たな、ノーザ!」 「あら。もう“ノーザさん”とは呼んでくれないのかしら」 からかうような口調でそう言うと同時に、ノーザの右手がさっと上がる。 「さぁ、ソレワターセ。プリキュアが加勢などしないうちに、私が欲しいものを奪いなさい」 「そうはさせん! ホホエミーナ!」 「くっ……そいつを止めろ!」 ウエスターと少女の叫びがほぼ同時に響いた。くるりと向きを変えてソレワターセに飛びかかろうとするホホエミーナと、それを後ろから羽交い絞めにするナキサケーベ。 身動きが取れなくなった相棒を見るが早いか、ウエスターが単身、ソレワターセに挑みかかる。が、今度はナケワメーケの時のようなわけにはいかなかった。 スピードが違う。パワーが違う。おまけにサイズが違い過ぎる。ウエスターはたちまち防戦一方に追い込まれ、荒い息をつき始める。 二つの戦況を楽しそうに見つめていたノーザが、ラブとせつなの方に目をやって、ニヤリとほくそ笑む。 「ただ見ているだけで変身しないなんて、あなたたちも薄情ねぇ。それとも、本当はもう変身出来ないのかしら。だったら勝負は決まったも同然ね」 悔しそうに睨み返すだけで、何も言えない二人。すると二人のすぐ後ろから、新たな声が聞こえた。 「さあ、それはどうですかね」 「ホホエミーナ! 我に力を!」 新たな薄水色のダイヤが、瓦礫の山に突き刺さる。 「ホ~ホエミ~ナ~! ニッコニコ~!」 ゴツゴツしたゴーレムのような姿の怪物が立ち上がり、その場にそぐわぬ明るい雄叫びを上げた。それと共に周りの瓦礫が次々に吸収されて、その体が見る見るうちに大きくなる。 やがてソレワターセと同じくらいの大きさに成長したところで、ホホエミーナは太い両手を広げ、目の前の怪物に掴みかかった。 「サウラー!」 「どうやら間に合ったようだね」 サウラーがせつなの隣に並んで、口元だけで小さく微笑む。その姿を、ノーザが忌々し気に見下ろした。 「あら、あなたも私に逆らうのね? サウラー君。でも、そんな間の抜けた物を作って、ソレワターセに敵うと思ってるの?」 ノーザの言葉を証明するように、ソレワターセがホホエミーナを捕えて地面に叩き付けた。灰緑色の腕を槍のように真っ直ぐ伸ばし、とどめを刺そうと身構える。 だが、サウラーは慌てる様子もなく、いつもの皮肉めいた口調でノーザに叫び返した。 「お生憎様。僕は一人ではないんでね」 「え? サウラー、それってどういう……うわっ!」 怪訝そうに問いかけたラブが、驚いたように手で顔を覆う。突然、温かな空気が頬を撫で、視界が真っ白になったのだ。辺りにはもうもうと湯気が立ち込め、その向こうでソレワターセがよろよろと後ずさるのが、ぼんやりと見えた。さっきまでとは打って変わって、その体は萎れ、腕はへなへなと力なく垂れ下がっている。 「何だ。何があった! ……あっ」 珍しく慌てたような声を出したノーザが、湯気の向こうに目をやって、驚いたように息を呑む。 そこには一人の老人の姿があった。少々へっぴり腰ながら、その両手はしっかりと消防用のホースを握り締めている。彼の隣にはぐらぐらと沸く大鍋があり、ホースはそこに繋がっていた。 「なるほど、植物は高温に弱く、熱湯をかければ枯れるほどのダメージを受ける。植物から生まれたソレワターセも例外ではない、か。あなたの知識に助けられました」 「ええい、ただの人間の癖に、小癪な真似を!」 サウラーの言葉を聞いて、ノーザが恐ろしい形相で老人を睨む。その視線はそのまま少女へと向けられた。 「何をしている。邪魔者を排除するのはあなたの仕事よ。早くそいつらを片付けなさい!」 「おっと。お前の相手は、俺たちだ」 ソレワターセの方へ向かおうとするナキサケーベを、今度はウエスターのホホエミーナが体当たりで止める。 「ウォォォ~!!」 苦し気な雄叫びを上げたナキサケーベが、今度は短い腕をブンブンと振り回す。するとそこから、タイヤ型の砲弾が次々と飛び出した。 「みんなが危ない!」 ラブが思わず声を上げる。ナキサケーベとホホエミーナが戦っているすぐ後ろには、さっきまでラブたちが居た警察組織の建物があるのだ。ラブの声が聞こえたかのように、ホホエミーナが体を投げ出すようにして砲撃を受け止めようとするが、とても全部は止めきれない。 やがて、弾のひとつが建物の近くに着弾して盛大な土煙を上げた。それを見て、せつなが素早く身を翻し、建物に向かって走り出す。そして、既に昨日までの襲撃によって壊されていた頑丈そうな門の残骸を見つけると、その一端を引き上げて下に潜り込んだ。 「せつな!」 「何をする気だっ?」 ラブに続いてサウラーが、ここへ来て初めて焦りの声を上げる。 「この建物の中には、避難してきた人たちがたくさん居るの。傷付けるわけにはいかない」 「よせ! 今の君に、砲弾を止められると思うのか!」 「やってみなきゃ……分からないでしょう? 私も……やらなきゃならないことを、全力で……やるだけよ!」 せつなが渾身の力で門を押し上げ、大きな盾の代わりにする。その真ん中に、一発の砲弾が命中した。着弾の勢いに押されながらも、せつなは歯を食いしばって門を支え、後ろの建物を守ろうとする。 「……せつなっ!」 あっけに取られて一部始終を見ていたラブが、ハッと我に返ってせつなの元へ駆け出そうとする。その肩を、誰かの手ががっしりと押さえた。 「ここは僕に……僕たちに任せて下さい」 耳をつんざくような爆発音が、絶え間なく響く。強烈な硝煙の臭いと、全身の筋肉がしびれるような衝撃――。 せつなは、盾にした門の残骸を必死で支え続けていた。 彼女が立っているのは、避難者が居る会議室の前方に当たる場所。この重い盾を持って、動き回って砲弾を止めることは出来ないが、ここならば少なくとも彼らの居る部屋への被弾を防ぐ助けにはなるだろう。 (だけど……) 門を支えている掌が、さっきからヒリヒリと痛んでいる。度重なる着弾で、門が次第に熱を帯びてきているのだ。これ以上温度が上がれば、せつなには支えきれない。そもそも門が、盾としての役に立たなくなってしまうかもしれない。 (そうなる前に、何か……何か手は無いの!?) 唇を噛みしめて、何か妙案はないかと思考を巡らせる。 その時、ひときわ大きく苦しそうな雄叫びと共に、今までとは比べ物にならない数の砲弾が打ち出される音が響いた。 (駄目……そんな数は防ぎきれない!) せつなは全身を盾に預けるようにして支えながら、思わずギュッと目をつぶった。 着弾音が、少し遠くから聞こえた気がした。最悪の予測が外れ、弾がこちらまで届かなかったのか――そう思いながら恐る恐る目を開けて、せつなの目がそのまま驚きに見開かれる。 目の前に、いつの間にか銀色の長い壁が出来ていた。いや、それはただの壁では無かった。 二十人、いや三十人は居るだろうか。揃いの警察組織の戦闘服に身を固めた若者たちが、やはり警察組織の大きな盾を手に、ずらりと一列に並んでナキサケーベの砲撃を防いでいたのだ。 ぽかんと口を開けるせつなを、一人の若者が振り返る。それは、今朝ラブが作ったおじやの鍋を運び、配膳を手伝ってくれたあの少年だった。 「せつなさん、ありがとう。僕たちもやらなきゃならないことを、全力でやってみます」 少年が、相変わらずぼそぼそとした口調でそう言って、ニッと照れ臭そうに笑う。その時ナキサケーベの新たな呻き声が聞こえて、その顔がきりりと引き締まった。 「みんな、少しでも隙間を空けると危険だわ!」 せつなが門の残骸を放り出して、少年たちに向かって声を張り上げる。訓練は積んでいるが、こんな実戦経験など無い若者たち――そう思った瞬間、自然に体が動いたのだ。 「盾を少し斜めにして、隣の人の盾と半分ずつ重ね合わせるの。そうすれば、隙間は完全になくなるし、盾の強度も倍になる」 少し低めのよく通る声が、若者たちに的確な指示を出す。やがて建物の前面全体を守る、頑丈な防御壁が出来上がった。 せつなと若者たちの様子を眺めていたラブが、ゆっくりと笑顔になる。そして勢いよく走り出すと、ホースを構える老人の元へ駆けつけ、その手を取った。 「おじいさん、手伝うよ!」 「い、いや、これは……」 「ううん、手伝わせて。お願い!」 「あ、ああ……それなら、頼む」 老人がラブの勢いに押されたように、こくんと頷く。その戸惑ったような顔にもう一度ニコリと笑いかけてから、ラブは老人と一緒にホースを支え、ぴたりとその先をソレワターセに向けた。 少女が操るナキサケーベと、ウエスターのホホエミーナ、そしてナキサケーベの砲弾を防ぐ盾を担うせつなと警察組織の若者たち。 ノーザが檄を飛ばすソレワターセと、サウラーのホホエミーナ、そしてラブと老人による援護射撃。 一進一退の攻防を、幾つかの建物に潜むラビリンスの避難者たちは、固唾を飲んで見守っていた。 「思い出すな……。プリキュアの戦いを見た、あの日のことを」 「あの時も、私たちを助けてくれたのよね」 「でも、メビウス様が復活すれば、それもすべて終わりだ」 「それはそうかもしれないが……」 「でも、あの人たちは今、私たちを守るために戦ってくれている」 「私たちは、守られているだけ? それだけで何も出来ないの?」 いくつもの力のない呟きが重なって、やがて一人の若い女性がそう言って人々の顔を見回す。すると、最初はバツが悪そうに顔を見合わせていた人たちの間から、少しずつ声が上がり始めた。 「砲撃を防ぐ工夫なら……僕たちにも出来るかもしれないな」 「確かにその方が、みんなも戦いやすいはずね」 「よし、ここにバリケードを築こう」 「じゃあ俺は、会議室の隅に片付けた机と椅子を持ってくる」 「私はあのおじいさんを手伝って、お湯を調達してきます」 にわかに活気づいた雰囲気に押されるように、うずくまっていた人たちが、一人また一人と立ち上がる。 戦いの様子を目の当たりにして、久しぶりに声を出し、言葉を交わす。そして何かをしようと駆け出していく。 それは、せつなもラブも、ウエスターもサウラーも、勿論ノーザも少女もまだ気付いていない、ラビリンスに起こった静かな、しかし確実な変化だった。 「うっ……な、何をしている。そんなヤツ……うっ……さっさと倒せ!」 暗紫色の茨が、一巻き、また一巻きと、少女の二の腕に絡み付き、締め付けていく。苦痛に耐えながらモンスターに檄を飛ばし続ける少女がふらりとよろめいて、ついにガクリと膝をついた。 「ああ……」 老人が喉の奥から小さな悲鳴を吐き出して、少女から目を背ける。心配そうにその顔に目をやったラブは、その向こうに見えるせつなの様子に気付いて、さらに心配そうに眉根を寄せた。 せつなの右手が、小刻みに震えている。拳を固く握り締め、片時も目を離さずに、苦しむ少女の姿を見つめている。 しばらくその様子を眺めてから、ラブもグッと唇を引き結んだ。 ホースを老人に任せ、せつなの元に駆け寄る。そして握られた拳に右手でそっと触れると、ラブはせつなの目を覗き込むようにして言った。 「せつな。あの子のところに行こう!」 「……え?」 「あの子を止めようよ」 「ラブ……何を言っているの?」 驚いた――そして少し怒っているような表情で、せつながラブの顔を見つめる。ラブもせつなの顔を見つめ返して、さらに言葉を続けた。 「あの子を助けよう。ね? せつなは、そうしたいんでしょう?」 「無茶言うな。ここは俺に任せておけ!」 決め手を欠いて苦戦しているホホエミーナに目をやったまま、ウエスターがいつになく鋭い声を出す。それを聞いて、せつなは小さく、そして少し哀しそうに微笑んだ。 「ウエスターの言う通りよ、ラブ。今の私たちに、戦う力はない。ナキサケーベやソレワターセを浄化することも出来ない。だったら、私たちは私たちがやらなきゃならないことを……」 「違う。違うよ、せつな」 今度はラブの顔が、哀しそうに歪んだ。 「ねえ、せつな。やらなきゃならないことは、本当にやりたいことに繋がってなくちゃいけないんだよ」 「本当に……やりたいこと?」 掠れた声で聞き返すせつなに、ラブは、うん、と頷いて見せる。 「避難しているラビリンスの人たちを守りたい――それもせつなの、本当にやりたいことだったんだよね。だから警察の人たちが、その想いに応えてくれたんだと思うんだ」 そう言って、ラブは固く握られたせつなの拳を、両手で優しく包み込む。 「本当は、あの子が苦しむところを見ていられないんでしょう? あの子を助けたいんでしょう? だったら助けようよ! あたしはせつなを、応援するよ」 ラブを映すせつなの赤い瞳が、ゆらゆらと揺れる。その揺れが収まってから、せつなはラブに向かって、ニコリと笑ってみせた。 「ありがとう、ラブ。ウエスター、私一人で行かせて」 「えっ? しかし、お前が行ったら……」 「大丈夫。私も……私の力を、信じてみたい」 驚いたような、困ったような顔でせつなとラブの顔を交互に見ていたウエスターが、せつなの言葉を聞いて、そうか、と小さく呟く。 その時、盾を持った警官たちの列から一人の若者が飛び出して、建物の中に走り込んだ。ほどなくして出て来ると、今度は一目散にせつなの元へと駆け寄る。その顔を見て、せつなが、あっ、と声を上げた。 「あなたは、ひょっとして昨日の……。ごめんなさい、いきなりあんな酷いことをして」 それは、昨日少女があの通達を行った時、怒りに駆られたせつなに戦闘服を奪われた、あの若者だった。 「いいえ。元はと言えば、俺が油断していたのがいけないんです」 若者が少し照れ臭そうな顔でかぶりを振りながら、抱えていた物をせつなに差し出す。 「これ、うちの隊の予備の戦闘服です。せつなさんには物足りないと思いますが、良かったら使って下さい」 せつなは、昨日とは別の理由で手を震わせながら、戦闘服を受け取って、それを大事そうに胸に抱いた。 戦闘服が、再び旗のように勇ましく空中に翻る。イースであった頃に着慣れていたものとは、性能面でかなり劣る代物。しかし、そこに込められたあたたかな想いが、せつなに大きな勇気をくれる。 するりと袖を通してから、せつなは目を閉じ、静かに気を集中させる。そしてパッと目を見開くと、強い光を帯びた目でラブを見つめた。 「行って来るわね」 言うが早いか、飛ぶように駆けるせつな。その髪が一瞬銀色に輝いたように、ラブの目に映った。 ~終~ 第10話:炎の記憶(前編)へ
https://w.atwiki.jp/fleshyuri/pages/841.html
風が強くなってきた。 せつなが煽られた髪を押さえながら荒れ始めた海を眺めている。 鼻を突く潮の香。 鈍色の空と白く泡立つ灰色の海はその境目を鉛色に溶け合わせ、 嵐の予兆を惜しげもなく振り撒いていた。 真夏の炙られるようなジリジリとした黄色い太陽。絵の具で塗ったような真っ青な空と白い雲。 紺碧のグラデーションの間にアクセントを描くような白い波を抱いた海。 ダンス合宿からまだそれほどの時は経っていない気がするのに、この様変わりはどうだろう。 「台風が来てるんだってね。傘、持ってないなあ」 困ったねぇ。 今にも泣き出しそうな空の色に、ラブはちっとも困っていなさそうな暢気な口調で呟く。 「そうね…」 せつなもそう呟きながらも相変わらず風に髪をなぶらせたまま動こうとしない。 今日は随分遠出してしまった。 早く帰らないと夕飯に間に合わない。 アカルンを使えば一瞬の事。 しかし二人はその事を故意に忘れていた。 あと数日で夏休みが終わる。 せつなにとっては全く新しい生活が始まるのだ。 学校へ行き始めれば友人も出来るだろう。 今はラブだけが頼りのせつなも新たな世界の扉を開く。 二人だけの閉じた、でも濃密な蜜月は終わりを告げるのかも知れない。 それを惜しむように、ラブはせつなを誘った。 どこか遠くへ行こうか。二人だけでさ。 一瞬目を丸くしたせつなは嬉しそうにニッコリと微笑んでくれた。 海が見たい。そう言うせつなにもう一度合宿をした場所に行く事を提案した。 あの時はアカルンがテレポートさせてくれたけど、今度は電車で行く。 時刻表を調べ、計画を練る。かなり時間がかかる。 日帰りで行くなら相当早く出ないと遊ぶ時間も無さそうだ。 始発の人もまばらな電車の中。 並んで腰掛けながら、気が付けばしっかりと手を握り合っていた。 どちらからともなく。まるで当たり前のように。 共に暮らし始めてから、こんな風に直接触れ合うのは初めてだった。 海水浴シーズンには人で溢れ返る駅も秋の気配を見せ始めた今では閑散としている。 電車を降りても握り合った手はそのまま。 住んでいる場所から遠く離れたここなら人目を気にしなくてもいい。 ちょっと仲の良すぎる女の子二人。それだけだ。誰も見咎めたりはしない。 何をするでも無く、肩を寄せ合い歩く。 冷たい波に素足を洗わせ、蠢く砂のくすぐったさに笑い声を上げる。 それだけで瞬く間に時間が過ぎて行く。 一つ屋根の下で暮らし、ぐんと近くなった距離。意識するお互いの想い。 多分ずっと前から胸の中に芽吹いていた。 言葉にするには重すぎて。 触れ合ってしまえばどうなってしまうのか。 知らぬ振りで過ごすには余りにも甘く疼く切なさを持て余して。 繋いだ手のひらから流れる声にならない言葉が胸を塞ぎ、溢れ出してしまいそうで。 このまま、ずっと…… 永遠にこの時が続けばいいのに………。 「あれ?何かあったのかな。」 夕闇が迫りながらもぐずぐずと帰宅を伸ばしていた二人。 電車で帰るならもうそろそろギリギリの時間になっていた。 いざとなればアカルンが使えるのだからもう少しだけ。 そんな思いで駅までの道を行きつ戻りつしていた時だった。 朝はガランとしていたのに、小さな駅には不似合いなくらい大勢の困り顔の人。 「あの…、何かあったんですか?」 近くにいた中年男性に尋ねてみる。 シーズンオフの海にはあまりいない、いかにも中学生風の二人に軽く驚きながら 男性は説明してくれた。 ただでさえ本数の少ない電車が事故に合い、復旧の目処が立っていない事。 ここは海水浴シーズンは臨時バスも出て人で賑わうけど、それが過ぎれば バスも無くなり交通手段が無い事。 「お嬢ちゃん達、遊びに来たのかい?物好きだねえ」 「じゃあ、もう今日は電車は来ないんですか?」 「たぶん無理だろうね。天気もこれだしな」 男性は曇天にチラリと目をやりながら、親切に教えてくれた。 「あんた達、どこから来たんだい?」 「…四つ葉町です。」 「四つ葉町!?そりゃまた随分遠くから…」 軽く呆れた様に仰け反った男性は、「悪い事は言わないから、」と親切に助言をくれた。 今の内に泊まる場所を確保した方が良いと。 この時期になると安い民宿はかなり店仕舞いしている。 まだ電車が止まってしまった事を知らない人も多いだろうが、 帰れないと分かればあっという間に部屋は埋まってしまうだろう。 この辺りは安いビジネスホテルは無い。リゾートホテルは中学生の懐具合では無理だろうし。 「安い所もあるっちゃあるが。まあ、子供にはお薦め出来んしな。」 意味に気付き照れ笑いするラブに、きょとんと首を傾げるせつな。 そんな二人に男性は自分で言っておきながら気まずそうに頭を掻いている。 丁寧に礼を述べながらもラブは、「案内してやろうか?」と言う申し出を断っている。 人の良さそうな笑みを浮かべて立ち去る男性に何度も頭を下げながら、 せつなはほとんど口も聞かずラブを窺っていた。 「…あ、もしもしお母さん?ラブだけど。…ちょっと困った事になっちゃってさあ…」 ラブはせつなの手を引いて歩きつつ、電話を掛けながらさっき聞いた話を繰り返し説明している。 痛いほどに手を握っている癖にラブはせつなの目を見ようとはせず、声も掛けない。 せつなもただ黙って幼子のように付いて行く。 「うん、ごめんなさい。……え?いいよ、勿体ないし。いくら掛かるか分かんないじゃん、タクシーなんて…」 「…………………」 「……大丈夫。お小遣い多めに持ってきたし、ほとんど使ってないから。…」 「………………………」 「ホントに。せつなも一緒だし平気だってば。…うん、ホントにごめんなさい…」 「お母さんがせつなに代わってって」 はい、とリンクルンを渡される。 無言で受け取り、耳に当てると心配そうなあゆみの声。 「もしもし。はい、すみません。ご心配掛けて……。いえ、ラブの所為じゃないんです……」 独りでに口から零れる台詞はまるで他人の声の様に響く。 体の外側から自分を眺めているみたいだった。 「……はい………はい、ありがとうございます。ラブと二人なんで大丈夫です…」 気遣ってくれるあゆみの声に胸の奥がチクチクした。途方も無く罪深い嘘を付いている気がして。 「……ちょっぴり叱られちゃった。」 電話を切った後、ラブがペロリと舌を出す。 「せつなは土地勘が無いんだから、あたしがしっかりしなくちゃダメでしょ!って…」 「…でも、事故はラブの所為じゃないし…」 「うん。でも、あたしが遊ぶのに夢中で遅くなったんだろうって。 もっと早くに帰ってれば事故に巻き込まれなかったんだからって…」 「結構厳しいのね、おば様。」 「恐いよぉ!せつなもそのうち雷落とされたら分かるって!」 「…おば様、心配そうだったわ……」 「うん……でも、仕方ないよね。事故なんだもん……」 「……………」 「………」 交わす言葉の中に漂う、そこはかとない白々しさ。 そしてやはり、ラブはせつなを見ようとしない。 じっと頬に注がれる視線に気付かぬはずはないのに。 晩ご飯どうしようか? 泊まらなきゃダメだからあんまりお金使えないね。 コンビニあるかなあ。パンとかでもいいよね。 ラブは弾む声で喋り続けながらせつなの手を引きぐんぐん歩く。 黙りこくったせつなを気にする風も無く。 それでも陽気な口調とは裏腹に、繋いだ手のひらは少し強張っている様に思えた。 しっかり握り合っているのに指先がひんやりしている。 緊張に湿った感触。 震えているのはラブだけだろうか。 多分、自分も同じなのかも知れない、とせつなは頭の隅でうっすらと考える。 どのくらい歩いただろう。 二人は民宿のある通りからどんどん外れて行く。 広い国道沿いに坂道を登って行くと電車の窓からも見えた建物の前に着いた。 海沿いの爽やかな景色にはあまりそぐわない、やたらメルヘンチックな外観。 淡く可愛らしいのに何故か上品には見えない色使い。 長閑な田舎にはあまりに不似合いな佇まいを不思議に思ったせつなが、 「ラブ、あれは何なの?」そう尋ねてみたが、ラブは苦笑いで言葉を濁し、答えてはくれなかった。 たぶん、あそこがさっき聞いた『あまり子供にはお薦め出来ない』宿泊施設なのだろう。 どう言う目的で泊まる場所かは、世間知らずなせつなにもさすがに察しがつく。 誰にも顔を見られずに入れる仕組みになっているらしい建物に、ラブは少し戸惑う 様子を見せつつも進んで行った。 「うわあ、すごいよ。何でも揃ってる!」 部屋に上がったラブははしゃいだ声であちこちの扉や引き出しを開けて回る。 ほら、パジャマまで!と掲げて見せたのはサイズ違いのお揃いのパジャマ。 その大きさの違いが、ここへ来るのがどういった人達なのかを示しているようで。 せつなはいたたまれない思いに駈られた。 「風邪、引いちゃうね…。着替えなきゃ……」 「………?」 言われて初めて気が付いた。 アスファルトの上を跳ね踊る無数の水滴。 木々の間を吹き抜ける野太い笛の音のような風。 せつなの髪はしっとりと水分を含み、ワンピースの肩や背中は重く色を変えていた。 湿った髪を撫でるラブの手が背中へ降りてゆく。 ゆっくりとファスナーが引き下げられ、スカートが足元に ストンと滑り落ちた。 せつなは棒立ちのまま身動ぎもせず、されるがままに身を任せている。 背中へ回された指はブラのホックを探る。 プチンと言う手応えと共に下着が浮き、その中が微かに震えた。 肩紐に手がかかり、外される。乳房が顕になろうとしたその瞬間、 ラブの動きがピタリと止まった。 はあっ…と、大きく息を吐き出し、せつなの剥き出しの鎖骨に額を擦り付ける。 「なんで…?せつな。……なんで何も言わないの………」 「………ラブ………」 頑な迄に逸らされていた視線がようやくしっかりと結ばれる。 ラブは、ぐっ…と瞳に力を籠め、せつなの頬を両手で挟む。 震えを抑えようとする声は細く掠れ、荒々しいほど力強い瞳とは 裏腹にか細く響き出す。 「お願い…。少しでも、嫌だって思う気持ちがあるなら今すぐ逃げて……」 でないと…、でないとあたし……。 せつなにヒドイ事するよ。 きっとせつなが泣いても、やめてって言ってもやめてあげられない。 どんなにせつなが嫌だって言っても逃がさないよ。 だから、だから今ならまだ間に合うから。 まだ、触れ合ってない、今なら…… 嵐を閉じ込めたようなラブの瞳。 ああ、そうだ。この瞳を以前にも見た事がある。 ラビリンスからせつなを取り戻す。 たとえどんなに自分が傷だらけになっても。 せつなを傷だらけにしても。 すべてを賭けて、受け止めうとしてくれた。 「……ラブ…」 せつなは呟き、ラブの頬に指を這わせる。 揺らめきを孕んだ瞳を、想いを含んだ唇を。 なんて綺麗な瞳なんだろう。 息が苦しくなるほどに感じる。 この瞳に愛されているのだ。 この唇に求められているのだ。 この腕が絡み付く荊を切り割き、暗闇から引き上げてくれた。 これ以上の幸せなんて求めて良いはずなどない。 これ以上幸せになったら、きっと…。 きっと、心が壊れてしまう。狂ってしまうに決まっている。 それでも…… どんな言葉も口に出した途端に儚く消えてしまいそうで。 この想いを現す言葉なんて思い浮かばなくて。 ならば答える変わりに。 言葉より強く、伝えられるように。 胸一杯の想いをその瞳に溢れさせ、せつなはラブの髪をくしゃくしゃに掻き回す。 唇をぶつけるような不器用な口付け。 何度も何度も押し付け、擦り合わせ、いつの間にか二人はベッドに重なり 絡み合っていた。 舌が歯列を割り、その奥を探り、求める。 性急に体に残った僅かな布切れを剥ぎ取り、どんな小さな隙間も許さぬほどに 柔らかな素肌が吸い付き合う。 浅い呼吸に頭がくらくらし始めても、それでもほんの一瞬でも唇が離れるのが厭わしい。 もっと深く。もっと強く。 大きすぎる幸せは、とても一度では掴みきれなくて。 どんな形をしているのか。どんな味や香りなのか。 確かめるのももどかしく、矢継ぎ早に求め合うしか出来なくて。 好きだから。もう、気付かない振りでは過ごせない。 どのみち狂ってしまうなら…… お互いの胸に渦巻く風は、嵐よりも強く心身を揺さぶる。 いずれ、一人きりでは耐えきれなくなるに決まっていた。 ならば、同じ想いを抱いている二人なら。 二人でなら、きっと。嵐の後の青空に辿り着けると信じたかった。 み-277へ
https://w.atwiki.jp/fleshyuri/pages/1065.html
「わっは~、ふっかふか。美希たんのベッドは柔らかくって気持ちいい~!」 綺麗に整頓された美希の部屋。行き届いたベッドメイク。さっきまで、枕投げで散らかっていたはずなのに。 青一色に整えられた部屋は、奥行きが広く感じられ、さながら小さな海のよう。 真っ白なシーツは、打ち寄せる小波。 違うのは匂い。磯の荒々しい臭いじゃなくて、甘く爽やかなラベンダーの薫り。 「ラベンダーは安眠効果が高いのよ。きっと、素敵な夢が見られるわ」 美希が説明するのを待たず、ラブが飛び出した。 まずはベッドにほお擦りして、ゴロンと敷き布団の上を転がって、みんなもおいでよと手招きする。 「ちょっと、ラブ! プールじゃあるまいし飛び込まないでよ」 「あ~あ、せっかく美希ちゃんが食事中に抜け出して整えてくれたのに」 「そうそうって、なんでブッキーが知ってるのよ?」 「おばさんじゃなかったんだ」 「顔に書いてあるよ?」 「ないわよっ! せつなもジロジロ見ないの、そんなわけないでしょ」 「美希は、見えないところでいつも頑張ってるのね」 「ラブちゃんは相変わらず。せつなちゃんと二人の時もこうなの?」 「そうね、あんまり変わらないわよ」 呆れた顔で話すせつなの表情は、でも、楽しいって感情を隠しきれずにほころんでいた。 子どもなんだから、と溜息を漏らすせつなにラブが抗議する。 「えっ~せつなだってこの前は」 バフン! せつなの投げた枕が、ラブの顔面を直撃する。 かくして――――止めようとする美希の奮闘も空しく、枕投げの第二ラウンドが勃発したのであった。 『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。パジャマパーティー――』 『お邪魔しま~す!!!』 ジャージ姿で蒼乃家の門をくぐる、ラブ、祈里、せつな。扉を開いた美希も、首にスポーツタオルをかけたトレーニングスタイルだ。 休日を利用しての、早朝からのダンスレッスン。昼からミユキさんもコーチに加わってのハードメニューだった。 みんなクタクタに疲れていたのだが、表情は活き活きと弾む。 理由は、各自が抱える大きなバックが物語っていた。今日は――――パジャマパーティーなのだから。 「いらっしゃ~い。みんな、ゆっくりしていってね」 「ゆっくりはするわよ、お泊りなんだから」 「もう、美希ちゃんのイジワル。そんな言い方しなくたっていいのに」 「ゴメンってば。今夜の夕食はアタシたちが作るから、ママものんびりしてよね」 「それは助かるわぁ~、美希ちゃんのお料理は味気なくって」 「アタシはママから教わったんだけど……」 後ろでクスクス笑い出した三人に気が付いて、美希が顔を赤らめる。「行くわよ」と、レミを置いてさっさと自分の部屋に上がる。 慌てて後を追うラブたちを、レミは可愛らしく手を振って見送った。 「おばさん、相変わらずね。母娘というより、友達同士の会話みたい」 「もう、恥ずかしいんだから」 「でも、見ていて仲がいいのが伝わってくるわ」 「うん、あたしたちもおかあさんと仲良しだけど、美希たんのとこと少し違うよね」 「そうね。アタシはママの娘だけど、気の合う友達であり、相談相手でもあるのよ」 「だって、美希ちゃんしっかりしてるんですもの。あたしとしては、もう少し頼って欲しいのだけど」 「それはママがだらしないから……。って、なんでここにいるのよっ!」 「お風呂沸いたわよ、って伝えにきたのよ。ローズマリーを浮かべておいたから、サッパリするわよ~」 怒って追い出す美希と、懲りた様子のないレミ。こんな性格だから、二人っきりの暮らしも寂しくないのだろう。 「それにしても、美希たん家のハーブ湯なんて久しぶり~」 「せっかくだから、みんなで入っちゃおうか?」 「ええっ? 私は恥ずかしいから後で入るわ」 「わたしも、自信ないからやめとく」 「お風呂に何の自信がいるのよ? 女の子同士なんだから気にしないの」 「そうそう。行くよっ! せつな」 「きゃっ! ちょっと、ラブったら押さないで」 「わたし、信じてる……」 「だから、何をよ……」 二人暮しとは思えない、豪華で広いバスルーム。アイドルだったレミは、お風呂には特にこだわりがあった。 湯船には可愛らしい花柄模様の布袋が浮かぶ。中にはハーブの茎葉がたっぷりと入っていた。 「美希のアロマ好きは、お母様ゆずりだったのね」 「いい匂い。ずっとこうしていたいくらい」 「そんなの、バスタブに体を隠してる理由にはならないわよ?」 「せつな、背中流してあげる」 「「嫌だって、言ってるのに……」」 生き返ったようにツヤツヤしているラブ。緊張してグッタリ疲れたせつなに、何やら落ち込んでいる様子の祈里。 そんな中、美希はテキパキと髪にタオルを巻き、ローションマスクを貼り付けていく。 「美希たん、毎晩そんなことしてるんだ?」 「当然でしょ? 入浴後は時間との戦いなのよ。さっ、みんなも早くするのよ」 初めての体験に、みんなくすぐったがったり、おかしくなって笑ったり。にらめっこしてるんじゃないんだから、と美希にたしなめられる。 パジャマパーティー。一日だけでも違う家庭の暮らしに触れると、新しい発見も多い。 感じ方や考え方の違い。個性と呼ばれる人のあり方の違いの多くは、日々の暮らしから生まれるものなのだろう。 スキンケアが終わるのを待てずに、ラブがキョロキョロしながら辺りを物色し始める。 勝手知ったる幼馴染の部屋。トランプを見つけて遊ぼうと持ちかける。 「はしゃぐのはもう少し後にしてね。後十分くらいは動いちゃダメよ」 「じゃあね、せつな、占いしてよ」 「いいけど、何を占えばいいの?」 「え~っと、明日の運勢とかかな?」 「せつなちゃん、また占いするようになったのね」 「アタシは占いなんて信じないわよ」 「ふ~ん? じゃあ、美希の運勢を占ってあげる。最悪ね、この先きっと良くないことが起こるわ」 「ちょっと! 縁起でもないこと言わないでったら」 「冗談よ、やっぱり気になるんじゃない」 「ゴメンナサイ……」 「でも、運勢ってなんだろう。運命って始めから決まってるものなのかな?」 「わからないわ。私にとっては、運命はメビウス様が決定されるものだったから……」 「せつなっ!」 「せつなちゃん?」 「せつな、あなた……」 「いいの。もう、私はイースであったことを受け入れようって決めたの」 せつなは、真摯な眼差しでみんなを見つめる。 それは、あの日に決意した想い。未来にかける願い。ダンスユニット“クローバー”の再結成の誓い。 そんなせつなの想いを受け止めて、みんなは――――みんなは……一斉に吹き出した。 「ちょっと、何が面白いのよっ!?」 「だって……、ククク」 「そんな顔で、アハハ」 「パックが崩れちゃう……、クスクス」 「もうっ! 許さないんだから!」 せつなの投げた枕が、美希の頭をわずかに掠める。美希はチラリと時計を見てから、不敵な表情でパックを外した。 ラブと祈里も、顔を見合わせて同時に剥がした。 せつなも力強く剥ぎ取った。パックにも劣らない真っ白な素顔が、戦士の表情を形作る。 「ちょうど十分ね、受けて立つわ!」 「私に勝てると思ってるの?」 「恒例、枕投げ対決、行くよ!」 「負けないんだから!」 ここに、パジャマパーティー史上、最大の決戦の火蓋が切って落とされたのだった。 「今夜はあたしの特製のハンバーグだよ」 「私も、クリームコロッケに挑戦するわ」 「じゃあ、アタシは付け合せのサラダでも作ろうかな」 「わたしは……。みんなのお手伝いをするね」 今度はみんなで夕食の準備。 パジャマ姿のままで、上からエプロンを付ける。一見、お遊戯じみているが、実は彼女たちの腕は中々のものだった。 各自の得意料理。別々に作るかと思いきや、ラブとせつなは作業を分担しあって調理を進めていく。 包丁を握るラブと、下味をつけるせつな。左右に行き交う食材たち。 “焼き”と“揚げ”だけは、それぞれの手で行った。 「この二人って、……一体……」 「シェフじゃないんだから……」 前回のパジャマパーティーと比べても、遥かに腕を上げた二人の手付きに目を見張る。 美希も負けじと、豊富な食材を使って、色とりどりのサラダを完成させた。 テーブルを埋め尽くす料理の数々に、レミも驚きの表情を浮かべる。 ハンバーグにコロッケ。サラダに炒め野菜。スープにデザート。 栄養のバランスもしっかりと考えられていて、ボリュームはあるが見た目ほど量が多いわけでもない。 『いただきま~す』 「いいわねぇ~、家庭でこんなに美味しいご飯が食べられるなんて」 「いやぁ~、それほどでも」 「おかあさんは、もっと上手なんです」 「わたしのお母さんのお料理も、負けないくらい美味しいのよ」 「要するに、ママがダメなのよね」 「ヒドイ! 美希ちゃん」 絶え間なく沸き起こる笑い。食卓を囲む笑顔。久しぶりに賑やかな蒼乃家の食卓に、レミも嬉しそうだった。 食後の後片付け。四人一緒だと、そんなことも楽しくて。お話しながら、ゆっくりとテーブルやキッチンを綺麗にしていく。 「美希のお母様は、とても綺麗ね」 「急にどうしたの? 初めて会うわけでもないのに」 「容姿のことじゃなくて、姿勢とか、立ち振る舞いとか、食事の作法とか」 「うん、ママが言ってたの。美しくなりたいのなら、常に他人の視線を意識しなさいって」 せつなはテーブルを拭いてるレミに目を向ける。作業としては決して誉められた手付きじゃないけれど、物腰がとても上品で優雅だった。 経験が人を形作り、それが後の自分の生き方や、家族や友人にまで影響を与えていく。 美希のモデルへの憧れも、アイドルであった母親の、生き方や美しさと無縁ではないのだろう。 そして、思う。 だとしたら、自分は過去から何を得たのだろう。この先、それによって何を伝えていけるのだろうかと。 食事を終えて美希の部屋に戻る。そこで二度目の枕投げの後、一息ついてから、今度は美希が小さい頃の写真を引っ張り出してきた。 ラブと祈里も、申し合わせていたのだろう。それぞれバックの中から、古い表紙の分厚いアルバムを取り出した。 三人の写真は、本当に小さな頃から一緒に映っているものが多かった。 同じ日に撮ったのだろうと思われる写真もあった。 「こっちが弟の和希。アタシとラブとブッキーは~」 「クスッ、わかるわよ。面影がそのまんまじゃない」 「あはは、まだ十五歳だし、あんまり変わらないよね」 「わたし……可愛い」 「えっ?」 「ブッキー、今、なんて?」 「あっ、ううん、なんでもない!」 なぜか拳を握り締めた祈里に、一同が訝しがる。 そんなつぶやきはともかくとして、幼い頃の三人はどれも愛らしかった。 「本当に可愛い。抱きしめてあげたくなるくらい」 「ホントッ? 恥ずかしいけど、せつななら……」 「ばかっ、小さい頃のラブの話よ」 「たはは、でも、せつなの小さい頃だってすっごく可愛かったろうな~」 「……なかったと思うわ。可愛げなんてなかったもの」 「そんなことないよっ! 目付きの悪い小さなイースだって、絶対に可愛いって!」 「ラブちゃん、それ、フォローになってないと思う……」 「ゴメン、せつな。悲しいこと思い出させちゃった?」 「平気よ。アルバム見せてもらうの初めてだったから、とっても嬉しいわ」 「それはね――――」 早くから美希の提案で、アルバムはせつなには見せないようにしようと話していたらしい。 幼い頃の思い出のないせつなにとって、羨ましい写真かもしれないからって。 同じ理由で、それぞれの誕生日パーティーを盛大に祝うこともしないようにしていたのだとか。 「ごめんなさい、気を使わせていたのね。でも、今になってどうして?」 「最近、せつなの様子が変わったからかな」 「美希ちゃんがね、今ならいいんじゃないかって」 「ゴメン。あたし、せつなの気持ちも考えないで、おじいちゃんの写真で騒いじゃったことあったよね」 せつなは首を振って、謝るラブたちに微笑みかける。本当に、自分の知らないみんなの姿を見ることができて嬉しいって。 正確には、せつなは幼い頃の写真がないわけではない。データーという形で、幼少時の姿は記録されている。 しかし――――それは思い出と呼ぶにはかけ離れたものだった。 心の通わない、証明写真のようなものだった。 そんなことまで素直に話せる自分を不思議に思いながら、アルバムを通して、しばらく三人の思い出の中を旅した。 「ねえ、ラブ? これは……。クスッ、もう寝ちゃったのね」 「ブッキーもよ。二人とも、ダンスの練習で疲れていたのね」 「美希は平気みたいね?」 「アタシは鍛え方が違うもの。せつなこそ余裕そうじゃない?」 「そうね。それも……寂しい過去で、笑顔と引き換えにして得たものよ」 美希は立ち上がり、ベッドを占拠して眠るラブと祈里にそっと布団を掛けた。 二人は互いに向き合って、体を丸めて、おでこをくっつけ合うようにして眠っていた。 「こうして見ると、まるで姉妹ね。ううん、美希もそう」 「否定しないわ。幼馴染って、姉妹にも似た関係なんだと思うもの」 ラブと祈里は一人っ子。美希には弟がいるが、離れ離れに暮らしているのでやっぱり一人。 そんな寂しさを埋めあうように、三人はいつも一緒に過ごしてきた。 「それで、ラブに何を聞こうとしていたの?」 「この写真よ、三人とも泣いているわ。それに、ラブがなんだか怒ってるみたいで」 「ああ、それはね……」 それは、美希が弟の和希と別れ別れになって、しばらくした頃のことだった。 当時、美希は少しだけ荒れていて、祈里に八つ当たりして泣かせてしまったことがあった。 駆けつけたラブが祈里を庇って、美希に食ってかかったのだ。そして喧嘩になって、結局は三人とも泣き出してしまった。 「アタシってもともと生意気な子だったし、あの頃は特にね。だから、ラブまでアタシを嫌ったんだって思って泣いちゃったの」 「ラブは、誰かを嫌ったりなんかしないわ」 「そうなの。後でわかったんだけど、ラブはブッキーを庇ったんじゃなくて、アタシを心配して叱ってくれたらしいの」 「ラブは、小さな頃からラブなのね」 「うん。あの時ラブが叱ってくれなかったら、アタシはきっと嫌な子になってたと思う」 「それで、いつもラブがリーダーなのね」 「そうよ、ほらっ、あの子って怒らせると恐いでしょ?」 「クスッ、そうね。それはよくわかるわ」 ちょっとだけ似た境遇。小さな秘密を分かち合って、美希とせつなは顔を見合わせてクスリと笑う。 美希がラブと出会って変わったのなら、それは自分と同じだと思う。 いや、同じではないのだろう。 幼い頃に出会っていたら、人格がかたまる前に知り合っていたら、自分も幼馴染であったのなら……。 一体、どんな人間になれたんだろう。 遅すぎる出会い。取り返しの付かない過ち。夢であってほしかった現実。 もっと早くに、幼馴染として出会えたなら……。そうしたら、どんな今があったんだろう。 「美希、ここだけの秘密にしておいて。私は、やっぱりあなたたちがうらやましい。私も、この中の一人になりたかった」 「もう、なってるじゃない? 幼馴染じゃなくても、せつなはアタシたちにとって、他の二人と同じくらい大切な仲間よ」 「だって、遅すぎるじゃない」 「ねえ、聞いて」 美希は静かに話す。ずっと一緒、そう思っていた三人が、バラバラになってしまった日のことを。 当時、小学校六年生だった美希は、読者モデルとしての第一歩を踏み始めた時期だった。 読モとは言え、本物のモデル業界の厳しさを肌で感じ取った美希は、このままでは夢が叶わないことを知った。 そこでレミと相談して、芸能学校である、私立鳥越学園への進学を決意したのだ。 それは、ラブや祈里と別れ別れになることを意味していた。 ラブは涙を堪えて、懸命に堪えて、がんばってと応援してくれた。 祈里はしばらく泣きじゃくったが、やがて自分も獣医の夢を求めて、進学校である私立白詰草女子学院に行くことにした。 中学生になってからも交流は続いたが、別々の時間を、別々の友人と過ごすことも多くなっていた。 いつも一緒。そんな関係は、夢と自立の名の元に崩れ去っていった。 「このまま、少しづつ距離が開いていくと思ったの。そして、いつかは会うこともなくなるんじゃないかって」 「でも、そうはならなかった。私たちの、ラビリンスの襲撃があったからね?」 「ええ、プリキュアとダンスね。同じ使命と夢を持てたアタシたちは、また一緒に行動するようになった」 「皮肉なものね。大きな不幸が、小さな幸せをもたらしたなんて」 「アタシにとっては小さくなかったわ。イースが現れてアタシたちは集い、せつなの加入でアタシたちは一つになれたのよ」 「私が遅れて来たことにも、意味があったのかしら」 「アタシは三人で完璧だって思ってた。でも、違ったの。せつなが加わって四人になって、それでクローバーは初めて完璧になるのよ」 美希は続ける。せつながこの世界に来て様々な幸せを学んだように、美希たちもまた、せつなの不幸からたくさんの大切なものを学んだのだと。 失ってはならないものが何なのか。本当に人を幸せにするものは何なのか。それをせつなが教えてくれたのだと。 だから、自分たちもまた、あんな答えが出せたのだと。 「私の過去も、無駄ではなかったってこと? 笑顔と幸せを、導く力になれるってこと?」 「それは、この先のアタシたち次第なんじゃないかしら?」 「精一杯、頑張るしかないってことね」 「そしたらきっとできるわ、アタシたちは完璧なんだから。でも、一言だけ伝えたいの」 「なあに?」 「せつなのおかげで、アタシたちはまたクローバーを結成できた。だから……ありがとう」 「美希、私も占いなんて信じない。運命が無数の選択肢なら、最高のものを掴み取るわ。ないなら、無理やりにでも作るから」 「じゃあ、占いはやめちゃうの?」 「やめないわ。それも、私の過去の一部だもの。納得の行く結果が出るまで、何度だって占うだけよ」 「クールなイースが、大人しいせつなが、実はこんなに熱い子だったなんてね」 そう言いながら、美希は布団をせつなに被せて、自分も一緒に潜り込んだ。 せつなの手を握って、何か言おうとするせつなを、「おやすみなさい」って言葉で遮った。 「おやすみなさい、美希」 その夜、せつなは夢を見る。小さなせつなが、四つ葉町に来た夢を。 初めて見るはずなのに、不思議と馴染みのある公園。そこで仲良く遊ぶ、同じ歳くらいの三人の女の子たち。 ツインテールの子が、せつなの視線に気が付いて手を差し伸べる。 「あたし、ラブってゆーの。よかったら、いっしょにあそぼう!」 「わたしは、せつなよ。ひがしせつな。あそんでくれるの?」 「アタシは、あおのみき。みきってよんでいいわ」 「わたしは、やまぶきいのり。ぶっきーよ。せつなちゃんでいい?」 「さあ、いこう。おにごっこしってる? あたしがおいかけるから、せつなはにげるんだよ」 「わたしをつかまえられるとおもってるの?」 「そんなのわかんないよ、はじめてだもん」 「よーい、どーん!」 「いーち、にー、さーん」 「みてないで、にげるのよ、せつな」 「あなたは、みき?」 青い髪の女の子が、せつなの手を引いて逃げる。風に揺れる長い髪が綺麗で、あたたかい手の感覚が嬉しくて。 追いかけて来る、ツインテールの髪の子の笑顔がまぶしくて。 いっそ、捕まってしまいたいくらいに嬉しかった。 気が付くと、隣のサイドポニーの髪の子が、心配そうにせつなを見つめていた。 目が合って、嬉しそうに笑う。 せつなは走る。この素敵な仲間たちと、過去から未来に向けて真っ直ぐに。 いつまでも――――どこまでも。 避2-476へ
https://w.atwiki.jp/fleshyuri/pages/244.html
さっきからずっと…。何だろう、この気持ち。 私…、イライラしてるの? -放課後- 「ラブ…。あの子、今日学校でしゃべってた子。 由美ちゃんだっけ?ラブとずいぶん仲いいのね。」 「あぁ、由美?そだよ。私の親友なんだよー!」 「…ふぅん。ラブって、親友がたくさんいるのね。美希といい、ブッキーといい…。 うらやましいわ。」 私らしくない。愛想のない返事。ラブとのおしゃべり、大好きなのに…。 親友になったらもっともっと、おしゃべり出来るの?ずっとそばにいれる? (……私もいつか、ラブの親友になれるかな……) ―――しばし沈黙――― 「…もしかして、せつな。それって、ヤキモチやいてくれてる…とか?」 「?お餅なんて焼いてないわ」 (私は今おしゃべりしてるの!) 「あは、あははは・・・。そ、そーじゃなくて……。 まぁいーや。嬉しいからそういうことにしとこう!うんうん。」 「焼いたお餅がそんなに食べたいの??へんなラブ。」 (こんな時に何言ってるのラブったら!) ラブはせつなの表情が強張ってる事に気付く。 「…あのねぇ。せつなは、親友じゃないでしょ。私の、コイビトなの!」 〝ぎゅっ〟 「きゃっ!……ち、ちょっとラブ?!」 「せつなはー、親友じゃなくて、恋人! いっちばん大切でー、特別でー、ダイスキな人だよ!分かった?」 「…ラブ…」 (あったかい…) 「…やだ、せつな、泣いてるの?……もぉっ、本当に可愛いんだから…」 「な、泣いてなんかないわ!め、目にゴミが入って…」 「はいはい。よしよし。」 「大好きだよ、せつな。ずっと、ずーっと、一緒にいようね」 由美ちゃんごめんね。私のお餅、食べれないみたい。あ、嫉妬ってなぁに?
https://w.atwiki.jp/fleshyuri/pages/1027.html
(疲れた・・・。) 目を閉じて、ゆっくりと深呼吸。ぴんと張った神経の糸を、少しずつ解きほぐす。 頭の芯に、わずかに残る重い痺れ。慣れ親しんだその感覚を、心地よく感じている自分を不思議に思う。なんだか、ダンスレッスンで精一杯動いた後、みんなで「もうダメ・・・」とへたり込んだまま、笑い合っているときの気分と、少し似ているような。 全力で何かに打ち込んだ後に訪れる疲れが、こんな充足感を伴っているということを、せつなはこの世界に来て、初めて知った。 スイッチ・オフ (みんな同じ服を着ていても、この世界の人たちって、それぞれが全く違って見えるのね。) ベッドに寝転がって、ハンガーに吊るした制服を眺めながら、せつなは思う。ちらりと頭をかすめるのは、かつての故郷の人々の姿。彼らに比べて、今日初めて会った級友たちの、何とまぶしく輝いていたことか。 (学校って・・・なんか、楽しそうなところ。) うるさいくらいに明るくて自由な、クラスの雰囲気。先生たちの、厳しい中にも穏やかな愛情を感じる態度。みんなでひとつの黒板に向かって受ける授業も、教室で食べる昼食も、放課後の掃除の時間も・・・何もかもが新鮮だ。 ラビリンスには、集合教育の制度なんてなかったから、せつなにとっては、これが初めての学校生活。そしてそれは、新しい場所で、この世界のもっと数多くの人たちとの交流を持つという、やはり初めての経験でもあった。 素性も過去も知られているクローバーの仲間たちとも、何も聞かずに受け入れてくれた桃園家の家族とも違う。クラスメイトや先生たちは、当然のことながら、この世界で生まれ育ったごく普通の一人の少女として、自分を見る。本当は、この世界では知っていて当たり前の常識すら、まだよくわかっていない自分を。 そう思うと、どうしたって緊張感を覚えずにはいられない。 多くの人の場合、緊張は身体の動きを固くし、その五感を鈍らせる。が、せつなの場合はその逆だ。 目は、自然とその視野を広げ、周囲の状況を最大限に捕えようとする。耳は、どんな小さな物音も聞き逃すまいと身構える。そして、研ぎ澄まされた全身からの情報を受けた頭脳が、瞬時に状況を分析し、判断を下していく・・・。 ラビリンスで培われた、異世界に潜入する戦士としての能力が、身体の中で静かに目を覚まし、その真価を発揮する。 勿論、これは任務ではない。そもそも、一過性の潜入ですらない。 自分を学校に通わせてくれる家族に迷惑をかけず、その思いやりに少しでも答えていくために。そして、他でもない自分自身が、あまりにも狭く縮こまっていた自分の世界を、少しでも広げていくために。これはそのための、大切な一歩だ。 その頑張りが、少しは功を奏したのか。それとも、単に運が良かっただけなのか。 登校初日の周囲の反応は、予想を遥かに上回る、好意的なあたたかなもので・・・正直、せつなは少し、戸惑いを覚えたほどだった。 (ううん、きっと一番の原因は、そんなことじゃないはず。) せつなはベッドの上に起き上がり、フッとその表情を緩める。 (だって、学校に行っても、いつも隣には・・・) そう心の中で呟きながら、今日、人一倍クラスメイトたちを盛り上げていた、一人の少女の顔を思い浮かべたとき。 「せつなーっ、いるぅ?」 勢いのいいノックの音とともに、当の本人の声が、ドアの外から聞こえた。 「あれ?せつな、まだ着替えてないの? ダメだよぉ。お母さんに叱られるよ。」 そう言いながら部屋に入ってきたラブが、ベッドに座ったせつなの隣に腰掛ける。言われてせつなは、自分がまだダンスの練習着姿なのに気付き、思わず顔を赤らめる。家に帰ってホッとしたのか、つい、珍しく着替えもしないでベッドでくつろいでしまっていた。 ラブが隣から、彼女の顔を覗き込む。そしてニコリと笑って 「疲れちゃった?」 と、やさしい声で尋ねた。 その一言だけで、せつなの心に、ポッとあたたかな灯がともる。 「うん・・・。今日は一日、緊張しっぱなしだったわ。」 そう素直に答えると、 「え?そうなの?そうは見えなかったなぁ。」 心底驚いたという顔をするラブ。が、その顔はすぐに、いつもの笑顔に戻った。 「大丈夫だよ、すぐに慣れるって。せつな、勉強もスポーツも凄いんだもん。もうすっかり、クラスの人気者じゃん。」 まるで自分のことのように嬉しそうにそう言って、ね!?とキラキラした目を向けてくるラブに、せつなは心の中で苦笑する。 (・・・そういうことじゃ、無いんだけどな・・・。) そう思いながらも、せつなはラブに、心からの微笑みを返す。隣にラブが居てくれるから、どんなに緊張しても、疲れても、頑張ろうって思えるのだから。 「そろそろ夕ご飯の準備よね?私、着替えなきゃ。」 立ち上がったせつなを、ラブは足をブラブラさせながら、上目づかいで見る。その子供じみた視線に気が付いて、せつなは首をかしげた。 「ラブ。ひょっとして、私に何か話があったの?」 「い、いやぁ・・・。」 ラブの視線がせつなの顔を離れ、所在無げに泳ぐ。その様子を見ていたせつなの顔に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。 「ねぇ、ラブ。今日は満月が見られるって、新聞に出てたわ。夕ご飯食べたら、ベランダで一緒に眺めない?」 「うん!いいね、それ。」 途端に弾むラブの声に、少しホッとした響きがあるのを感じて、せつなもまた、嬉しそうにニコリと笑った。 何を相談されるのかは、何となくわかっている。ゴミ捨てから帰ってきたせつなの横を、すり抜けて帰って行った大輔。やっつけるという言葉がぴったりの食べ方で、猛然とドーナツを食べていたラブ。そしてミユキの言葉を聞いて立ち上がったラブの、大慌てに慌てた表情・・・。 一度スイッチを切ったアンテナを、もう一度立てる必要なんて無い。ただ真っ直ぐに向き合って、一心にその話を聞き、心のままに言葉を紡げばいい。 だって、相手は最も心を許した、この世で一番大切な人。誰かと絆を結ぶということを、最初に教えてくれた、親友なのだから。 「ええなぁ。やっぱり、青春って感じや。」 いつの間にそこに居たのか、タルトがベランダでため息をつく。 「アマジュッパ~?」 幼いシフォンのたどたどしい問いかけに、気の早い虫の声が、笑っているように聞こえた。 ~終~
https://w.atwiki.jp/fleshyuri/pages/381.html
ランランランラン ラララララ~♪ せつな「・・・」 美希 「~♪ ねえ、唄ったらちゃんと帰してくれるんでしょうね」 せつな「途中で止めない」 美希 「はいはい・・・」 ランランラン ラン ラララララ~♪ 美希 「~♪ ~♪ ・・・おしまい さあ、せつな」 せつな「・・・」 美希 「ちょっと、せつなってば」 せつな「すー」 美希 「・・・ま、子守唄だからね 朝になったら頼むわよ ラブよ、ああラブよ、絶対せつなより早起きしないで、お願いします」 美希 「すぴー」 せつな「(ふふっ)」